<   2015年 01月 ( 95 )   > この月の画像一覧
2015-01-31 お酒用語の「十水」とは何か
「十水」は「とみず」と読む。
十水というのは酒造用語だというが、庵主はその意味を知らなかった。
専門用語は一般常識からはみ出している言葉だから意味が解らないのが普通である。
「冷や」とか、「燗」なら、一般常識で分かるのである。

もっとも、「冷や」とは、冷蔵庫などで冷やしたお酒だと思っている人もいるから、一般常識
も案外いい加減なのである。「冷や」とは常温のお酒のことである。冷やしたお酒は「冷酒」。
まして、「山廃〈やまはい〉」とか、「本醸造」などと聞いても、その意味が解る人は殆ど
いないのではないだろうか。何となく解っても、説明はできない筈である。

庵主も、そうで、何となく分かるが、それを説明すれといわれたら出来ない。
「十四代/本丸」にある「秘伝玉返し」も何の事だか解らないまま呑んでいるのである。
「山廃」も「本醸造」も造り手の自己満足なのかもしれない。
呑み手は、といっても庵主の事だが、どんな造り方をしようと、うまければいいのである。

大山「十水 とみず」とは
江戸時代後期、白米〔十〕石に対し、水〔十〕石を加える「十水仕込み」と称される製法が
誕生しました。
(〔十〕水とは十割水のこと容積換算で米:水=1:1)
[以下、欄外に続く]』。

-----

時代は流れ、より白米が白くなっている現在の清酒の汲み水率は白米〔十〕石に対して
〔十二〕石が主流です。
大山の温故知新の精神で杜氏の「十水仕込み」を復活させて仕込んだ自信作です。
濃醇でコクのある味わいをお楽しみ下さい。

※米1石の重さは品種や精米歩合、乾燥度合などにより増減するため「大山 特別純米 十水」
では米1石を150kgと換算して仕込みを行っております。

[十水仕込みは、従来型の十二水仕込みに比べて]米の濃度が高い状態で発酵させる為、
より濃醇で巾のある足に!
』。なるほど、ようわからん。ただし、そのお酒はうまい。

[PR]
by munojiya | 2015-01-31 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2015-01-31 それは逆「新幹線7分掃除は素晴らしい」
新幹線の安全とサービスは日本の誉れである。
自慢である。
日本人の自国に対する信頼の拠り所でもある。
中でも、新幹線の掃除はわずか7分間でやってのけるということで称賛されている。

その早業は、ネットの動画で見ることができる。
もはや、その素早さは神業とされていて、それを見るためにわざわざ新幹線を見に来る外国人
もいるということで一つの観光スポットにもなっている。
角度を変えて見れば、新幹線の停車時間をも楽しませる余興みたいになっているのである。

「ゆりかごから墓場まで」というキャッチフレーズは総合福祉社会のものであるが、
新幹線は「乗車前の切符購入から下車したあとの停車時間まで」も楽しめる総合娯楽なのだ。
新幹線の車両清掃をたった7分間で見事にやってのける清掃員の素晴らしさに脚光が当たって
いるが、本当はそれは逆なのである。

動画で見ればわかるように、もちろん清掃員の仕事は手際がいいが、本当に素晴らしいのは、
無駄な清掃をさせないように、車両をちらかさない“民度の高い”乗客の方なのである。
お酒のうまさも、お酒自身のうまさもさることながら、それをうまいと評価することができる
呑み手の美意識にかかっているのである。うまいお酒はそれが判る呑み手が素晴らしいのだ。

-----

中国人の記者が書いた記事は『東海道新幹線が開業以来、累計56億人が利用したと紹介した
うえで、そのサービスの特筆すべき点として「新幹線の車内を清掃するスタッフ」の存在を
挙げ、「彼らはわずか7分ほどで車内を綺麗に清掃し、光り輝くほどに生まれ変わらせる」と
高く評価した。
』(典拠)と絶賛している。

[PR]
by munojiya | 2015-01-31 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2015-01-31 今週の誤植「受信と鑑定」
病院で、医者と患者(女児)の父親との間で治療に関していさかいが起こったという。
裁判でもなんでもやればいい。
翌日受信でも問題ないよって鑑定が出てきて終わり。
嫌だなあ救急外来。
』(典拠605)。

「受信」は「受診」の間違いだと判るのである。
「鑑定」が引っかかる。
診療についていっているなら、ここは「診察」だろう。
裁判についていっているなら、「鑑定」でいいのか。

裁判における事実関係の証明のことは「鑑定」と呼んでいいのだっけ、と疑問が広がる。
「受信」が正しく「受診」と書かれていたら気にしないで読みとばしていたところなのに。
例えば、お酒に興味のない人が、初めて「純米酒」と「本醸造酒」という言葉を見たときに、
その違いが常識で判断できるだろうか。二つが同義語なのかどうかで判断に苦しむ筈である。

「本醸造」というからには、本来の醸造法で造った酒だろうから米だけで造られている混ぜ物
なしの酒だと思っても奇怪しくはないのである。
しかし、そういう常識的な解釈は大いに間違っているのである。おそらく、間違ったイメージ
を浮かべるように、知恵者か考えた言葉なのだろう。詐欺の一歩手前にある言葉なのである。

-----

「本醸造酒」というのは、本来の醸造法で造られたお酒という意味ではない。
お酒は米から造るという常識がある人は、「本」という言葉で騙されてしまうのである。
米だけで造ったお酒だと思ってはいけないのだ。「本醸造酒」は、醸造アルコールを混ぜた
アル添(アルコール添加)酒なのである。口の悪い人に言わせると混ぜ物の酒なのである。

[PR]
by munojiya | 2015-01-31 00:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2015-01-30 「十水」再び
庵主が今年のお正月酒として旧臘に買ったお酒が山形の「大山〈おおやま〉」が醸している
「十水〈とみず〉」である。
去年のうちにちょっとだけ味見してみたところ、それがうまくて、どんどん減ってしまい、
お正月になって、かろうじて残っていたというお酒になってしまった。

燗が効くお酒なのである。
今時のお酒は、冷やして呑んだときにおいしくなるように設計されているのだろう、そういう
お酒を燗酒にすると、ちっともうまくないのである。
下手すると、純米酒でも冷やで飲むより味の厚みがなくなってしまうものさえあるのだ。

厳寒である。寒さがちょっと緩んだかと思うとまた寒さがぶり返す。
この時期、燗酒がうまいのである。しかし、燗をつけたらうまくなるお酒がないのである。
冷やで呑む酒はきどった味わいである。燗をつけるとお酒の本音がでるのである。
燗酒は、まったりと柔らかくなって、ほんのりと甘みが増すお酒が、庵主は好きである。

冷やで呑むより甘くなるというのが必須である。そうでないとうまくないからである。
ただあっためたお酒が燗酒ではない。あたためたときに甘みが広がるお酒が燗酒なのである。
「十水」は、そういう庵主の要求を満たしてくれるお酒だった。うまい燗酒が呑みたい。
それで、再び「十水」を求めたのである。「十水」の燗、いいねぇ。うまいねぇ。

-----

世間の評価も、庵主と同じだったようである。うまいお酒の評価は収斂するのである。
2014年スローフードジャパン「燗酒コンテスト2014」で最高金賞を受賞したという。
「十水」は、燗を付けたときに、庵主が嫌っている「藁臭」が微かに感じられるのだが、
それを越えるだけのうまさが味わえるから、藁臭が気にならないのである。酒が進むのである。

[PR]
by munojiya | 2015-01-30 00:09 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2015-01-30 あかぎれの防止法
気温が低く、空気が乾燥する今時の時分は、年中でお酒が一番おいしい季節である。
しかし、同時にあかぎれの季節でもある。庵主は、以前はあかぎれに悩まされたものである。
あかぎれはなぜできるのかについてはここに書かれている
庵主の場合、あかぎれになると、最初に親指の爪先の両端の皮膚が裂けてしまうから困る。

患部が水に触れた時には勿論、キーボードのスペースキーを押すとピリッと痛みが走る。
いずい(北海道語)のである。そういうあかぎれの防止法と対処法をご案内したい。
いずれも庵主が実行してその効果があることを確認したものであるから保証付きである。
防止法は、この時分になったら、予め指先に「白色ワセリン」を塗っておくという事である。

それを、朝、昼、晩の3回指先に塗るだけ。それであかぎれの発生を防げるようになった。
白色ワセリンは薬局で100グラム入り500円位で買える。庵主の場合2年前の冬に買った
ものがいまでも残っていて今年もそれを使っているから、一冬ならもっと少量でも十分である。
庵主は耳たぶにもワセリンを塗っている。そして、指先があかぎれになった時の治療法である。

2年前の冬、親指にあかぎれができて、痛みに耐えてワープロを叩いていた時にそれで治した。
庵主が使ったのはニチバンの「指先あかぎれ保護バン」である。350円位である。
これは、指先をしっかり包むので指を水につけてもしみない。1週間ぐらいで治ってしまった。
その後は、白色ワセリンを塗るだけで指先が再びあかぎれになることはなかったのである。
[PR]
by munojiya | 2015-01-30 00:04 | Trackback | Comments(0)
2015-01-30 モクク
本屋で「レイキ」という雑誌を見て、その意味が分からなかった。
「礼記」か。いや、「礼記」なら、読み方は「らいき」だ。
「レイキ」と一体なんだろう。
その雑誌の表紙を良く見たら「霊気」だった。

精神世界系身体強化法の雑誌だった。
科学がお手上げの分野だから、科学教信者の中にはそういうのを馬鹿にする人も少なくない。
そんなもの、科学で証明できないから、嘘だハッタリだ大法螺だよくて余興だと嗤うのである。
それでいったら、当たる様な気もするけれど血液占いも科学的にはデタラメだという人もいる。

人体には、動脈と静脈という血流とは別に、経絡という気の流れがあるという。
ツボの本に書いてある。それで食っている人がいるのだから経絡は真実なのだろう。
実体がなくても、それは存在するのである。ツボは本当にあるのだったっけ。
科学者は、目に見えない神を信じるのだろうか。“嘘で、ハッタリで、大法螺”のそれを。

神を信じる科学者というのは自家撞着か。神の意志を否定するのが科学者なのだから。
で、「モクク」である。その字面だけでは意味が分からないが、この状況で聞くとちゃんと
意味が分かる。「木9」と書くのである。「キムタク」に見捨てられた「フジ」である。
お酒の世界に「ヤコマン」というのがあるが、それは分かるまい。

-----

「キムタク」を知らない日本人はいたらモグリである。漫才では「キムチ」と「タクワン」の
事だとくすぐるが、「木村拓哉」である。「キムチの拓哉」という意味ではない筈である。
「フジ」は漢字で書くと「富士」なのだろうが、今では「不治」という字が浮かぶのである。
「ヤコマン」は「「山田菰田真野」である。酒造業界のタブーのことである。

[PR]
by munojiya | 2015-01-30 00:03 | Trackback | Comments(0)
2015-01-29 庵主が呑めるうまい「どぶろく」はこれだ
北海道の「新しのつのどぶろく」を呑む。
どぶろくは、「呑む」でいいのか。
あるいは「食べる」と言うのが正しいのか。米がまだ溶け切っていない時は「食べる」か。
どぶろく文化がほとんど途切れているといっていい今では判断にとまどうのである。

アイスクリームは、「食べる」というべきか、「飲む」と言うべきかという問題がある。
「油」と「脂」の違いは、常温で液体の時は「油」、固体の時は「脂」なのだという。
常温で固体状の物は「食べる」、液体状の物は「飲む」だろう。
ならば、アイスクリームはどっちなのか。アイスクリームは常温なら液体状だからである。

「新しのつのどぶろく」はまだ米粒が溶け切らずに残っているから米を食べることができる。
いま、庵主の手元に「飛騨のどぶろく〈ひだのどぶろく〉」というのがある。
ただし、これはにごり酒なので「清酒」である。「新しのつ」は「その他の醸造酒」になる。
「飛騨」の方は、どぶろく風の醪成分がこってりどろりとしているにごり酒なのである。

味わいは似たようなものである。いずれもうまいという域にあるものではない。
物珍しいというレベルを越えるものではない。一杯だけで十分といった感じの酒である。
ならば、うまいどぶろくはないのかというと、そんなことはない。
以前呑んだ、「御園竹」の「1026〈どぶろく〉」はうまかった。今も造っているかも。
[PR]
by munojiya | 2015-01-29 00:10 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2015-01-29 その人の名はいえない
庵主は、恋愛小説の題名の最高峰は井上靖の「その人の名は言えない」だと思っている。
ただし、その書名には心が惹かれるが、中身を読んでいないので内容については分からない。
本記事の標題は、細かいニュアンスを込めていえば、「その人の名は、いえない」である。
なぜなら、その人の名を口にすることは憚られるからである。

日本の帝国海軍は非常にモラルが高く、統率が取られていた。私が著書「英国人記者が見た
連合国戦勝史観の虚妄」で指摘したように、「日本軍は野蛮で残虐だ」というイメージは、
「東京裁判」などで戦勝国が自分たちの理論で作り上げた虚妄だ。実際の日本軍は規律を守り、
マナーも優れていた。
』(典拠)と元NYT東京支局長が書いているという。

つか当時の国際法守ってただけだし、良くやり玉に挙げられるパターン死の行進とか言われる
アレも、当時の法律で「捕虜の徒歩は1日10kmに制限する」って国際法があったので、
3日で30kmの徒歩として計画されてたのに当時の米国が死の行進とか名付けてるし今この
「“死の行進”」を再現してみると想像以上にぬるすぎるってよく言われてる
』(同66)

たしかに生粋の日本人の部隊ならばそうだったでしょうが朝鮮人で構成された部隊はここぞ
とばかりにありとあらゆる蛮行を働きました。当時は朝鮮人も日本国民であり、朝鮮人部隊も
「日本軍」ですからね。いわゆる残虐な日本兵のイメージは朝鮮兵のやった蛮行に端を発して
います。
』(同72)。うまいお酒の名前はいえるが、その人の、名は迂闊にはいえないのだ。
[PR]
by munojiya | 2015-01-29 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2015-01-29 笑い話「一枚の写真」
今時の写真は、フォトショで自由自在に修正加工捏造ができるので、昔と違って何の役にも
立たなくなってしまったから、それが実写なのか、コラなのかは庵主には判らないのである。
映画「ジュラシックパーク」で恐竜を見た時に、庵主はそれが本当に生きているように見えた
のだから、もう映像や写真を見てもそれが実写なのかコラなのかどうでもよくなってしまった。

詮索しても、庵主には判別できないからである。
それでいえば、庵主は純米酒とアル添酒も判別できないのである。
だから、純米酒であろうと、アル添酒であろうとどうだっていいのである。
ただ一点、庵主が判るのは、そのお酒がうまいかどうかということだけである。

で、その写真の話に戻って、ここにある写真のことである。
国内工場で生産しました』と書かれたポスターというか、貼り紙というか、ポップとでも
いうのだろうか、その掲示物は果たして実写なのか、はたまた画像を合成したものなのか。
亀田製菓と農心の関係を知っている人にはそれは十分ギャグに思えるからである。

新潟名産の「柿の種」と「辛ラーメン味」のコラボというのが可笑しいのである。
そんなもの、誰が買うのか、という可笑しさである。
譬えは汚いが、「ウンコ味のカレー」というに等しいからである。
柿の種の中から、蛆に似せたギャグが出てきそうで、期待は高まるのではあるが。

-----

「写真」では、こういうのもある。
指がいったい何本、手がいくつ?』という写真(記事の半ばあたりに出てくる写真)である。
確かに、やたらと指が多いように見えるが、よく数えたらちゃんと必要な本数は揃っている。
右手の甲に乗せているの飾り物なのだろうが、一体なんなのか。この写真では判然としない。

愛子内親王もそうだが、指のポーズの付け方が器用なので、そう見えるものか、あるいは本当
に指の数が一本多いのかは判らないが、指の数が多いように見える写真が散見されるのである。
そういう写真の多くは、今時の写真なのに、なぜかUFOの写真みたいに不鮮明なもので、
言われてみれば指が一本多いみたいにも見えるという写真なので真偽は判らないのである。

もし本当に指が一本多いのなら、豊臣秀吉が、指が1本多かったというから、母子ともに
偉人の証〈あかし〉なのかもしれない。
手品に「シックスフインガー」という道具がある。指にそっくりの形をした中にタネを隠して
おく筒を五本指の間に挟んでおいても、だれも指が1本多いことには気がつかないのである。

それらの写真もちゃんと指が多く写っているのに、見る人が先入観で五本に見てしまっている
のかもしれないのである。
愛子内親王の発育障害と、六本指は皇室にまつわる都市伝説なのである。
マスコミがちゃんと仕事をしていないという事なのである。

[PR]
by munojiya | 2015-01-29 00:03 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2015-01-28 どぶろくはうまいか
「どぶろく」。略して「どぶ」ともいう。
漉してない醪をそのまま呑む事である。お酒はそれを漉したものである。お酒は上品とされる。
昔は、家庭で自由に造る事ができたお酒である。庶民のお酒だった。呑む米とも言ったものだ。
今は家庭でどぶろくを造ると犯罪者になる。造ったお酒は密造酒になるのである。

では、どぶろくは今では呑めない幻の酒なのかというと、そうではない。
酒造免許を持っている人が造ったものが売られているからである。
古く(庵主がお酒を呑み始めた頃の事)は、岐阜の「白川郷〈しらかわごう〉」の濁り酒が、
どぶろくに一番近い酒だったが、今は本物のどぶろくが呑めるのである。

問題は、そのどぶろくがうまいかということである。
マッコリが、一時、サントリーが大宣伝をしてブームになったが、しかし、今はそんなものを
飲む人はいなくなってしまった、かのように音沙汰がなくなってしまったのである。
なぜか、はっきりいって、うまくなかったからである。ただし、日本人の口には、であるが。

では、どぶろくはどうなのか。うまければちゃんと売られているのである。
百貨店の酒売場に行っても、まず見かける事がないのである。あとは何も言うことはない。
庵主が出合った「新しのつのどぶろく」も、食用米である「ななつぼし」の変わった食べ方
として食するのなら面白いが、お酒として呑むには二回目はなかったのである。
[PR]
by munojiya | 2015-01-28 00:10 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)