2017-04-16 日曜日のくつろぎ編「キラキラ苗字特集」
【衝撃】どんなに好きでも結婚できない!? 女性が嫌がる「なりたくない苗字」まとめ』
典拠)である。
庵主は、キラキラネームを見ると吹き出してしまうが、キラキラ苗字には同情してしまう。
つい「御愁傷様」と言いかねないのである。

可愛い女の子が生まれたので、優しい、菜の花のような子に育ってほしいと思って、
「優菜〈ゆな〉」と名付けたという。あとから辞書を引いたら「湯女」と同音だったのである。
男の子に、心たくましく、肝っ玉の太い子になってほしいと思って「心太〈しんた〉」と
名付けたという。あとで辞書を引いたら「心太〈ところてん〉」だったという。

「鬼頭〈きとう〉」という苗字は、「優菜」ちゃんの例である。耳で聞いたら、語感がねぇ。
「御手洗〈みたらい〉」は「心太」君か。
「毒島〈ぶすじま〉」になると読めない。
古い人なら、野球の選手に毒島選手がいたから読めるだろうが。

酒銘の「獺祭」もお酒呑みなら読めるが、普通の人は果たしてどのぐらい読めるものか。
「月桂冠」も「優菜」ちゃんに近い酒銘だが、みんな気がつかない振りをしているのである。
「越乃寒梅」に「灑」というお酒がある。「れい」ではない。庵主には読めなかったのである。
いうならば、キラキラ酒銘である。呑んでみたら存外うまかったので良しとするのである。

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# by munojiya | 2017-04-16 00:04 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)
2017-04-16 「金正日」と「金正恩」の読み方
庵主は、チャイナ人やチョウセン人の名前は、漢字を日本語読みするというのが原則だから、
例えば「習近平」を「シー・チンピン」とは読まないのである。「しゅうきんぺい」と読む。
「朴槿恵」も「ぼくきんけい」と読む。それで困るのが「ごぜんか」さんというのがオチだ。
その場合に、北鮮の故・「金正日」をどう読むか、なのである。

「きんしょうにち」と読む人と、「きんせいにち」と読む人がいるのである。
さらに「きんしょうじつ」と「きんせいじつ」とも読めのだ。
「反日」と書いて「はんにち」と読む。「はんじつ」とは読まない。
「日本」は「じっぽん」とは読まないからである。

で、宇野正美先生によると、「金正日」の名前は本当は「征日」なのだという。
「日本を征服するぞ」という侵略思想なのだという。それでは露骨なので「日」だけにしたとか。
したがって、「金正日」の読み方は「きんせいにち」が正しいというわけである。
では「金正恩」は「きんしょうおん」と読むのか、「きんせいおん」と読むのか。
                        
チョウセン人には「恩」という概念がないというが、その人には正にあるので「まさおん」か。
北鮮は実はCIAの手駒なのだという人もいる。アメリが兵器を売るときの打出の小槌なのだと。
そう言う人が同時に、北朝鮮は日本の残置諜報だというのだから人の見解はいい加減なのである。
お酒の旨い不味いは、一口含めば判るのでその評価はゆるがないのである。いい加減さがない。

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兵事は凶事だといったのは孫子だったか、だれだったか。シナの兵書にそうあるという。
21世紀になってまだ、人類は人殺しをやめられないのである。
歴史は、その点で進化していないという事から、実質は劣化しているということである。
子供が、大人になってもお酒の味が判らないとしたら全然成長していないという事と同じだ。

本来あるべき水準に達していないのだから、劣化しているといってさしつかえないのである。
今年のゴールデンウィークは退屈しなくて、済みそう。』(典拠米)。
米朝開戦の煽りをくらって北鮮から日本に核ミサイルが飛んできて、逃げ回るのに必死で、退屈
している暇がないということになったりして。その予言がそんなふうに的中したら怖いけど。

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# by munojiya | 2017-04-16 00:03 | Trackback | Comments(0)
2017-04-15 浅田魔おのお父さん
標題が「浅田魔お」と誤変換なのは、庵主のワープロは「浅田真央」を知らないからである。
他意はない。「真央」という名前を、字書に「単語登録」しないのは庵主はさほど興味のない
名前なので、そんなに使うことがないから必要性がないからである。
そのつど、「真実」と「中央」と打って「実」と「中」を消せばいいのである。

「実は中国人」を消して隠すという意味ではないので邪推は無用である。
さらに、「単語登録」と括弧書きにしたのは、ワープロの字書に言葉を登録するときの事を
「単語」の登録と呼ぶのが慣例になっているからである。
日本語に「単語」はないのに、熟語などの言葉を「単語」と称する慣例によるという意味である。

例えば「真央」という名前を、日本語では単語とは言わない。
名詞だから「熟語」である。「単語登録」と言うよりは「熟語登録」と呼ぶべきだろう。
一つの言葉だから「単語」と呼んでいるのかもしれないが、「おはようございます」を「おは」
で登録する場合は、「単語」でなく「複合語」だから、それまた違和感が生じるのである。

浅田真央がフィギュア選手を引退するという事が世間の話題になっているという。
フジテレビさえも、手の平を返したように「祝福報道」をしているというのである。
実は、浅田真央のお父さんが「暴行で逮捕」されたのにマスコミは報道の自由を発揮したという。
食品添加物にうるさいマスコミがお酒に添加する醸造アルコールをスルーするのもそれである。

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日本では、天皇陛下ならびに皇后陛下や皇太子ご夫妻の悪口は言ってもかまわないが、しかし、
浅田真央の悪口だけは言ってはいけないことになっている。
その風潮に反旗を翻したのが、フジテレビである。よりによって浅田真央が競技で転倒した写真
を画面真ん中に大きく出すという悪意を込めた報道をして浅田をケナしたのである。この画面だ

当時、そして今もだが、韓流にとち狂っていたフジテレビは、浅田の強敵である南鮮の金研児に
肩入れして浅田をケナしたというのが真相だろう。局内の勢力が金研児童に心情的に肩入れ
したい人達、すなわち南鮮人に占領されていたということである。今もそうなのだが。
金研児と書くと男の子みたいな名前だが、キム・ヨナのことである。良く見たら 金妍兒だった。

日本人の宝物である浅田真央ちゃんを馬鹿にしていると抗議する日本人視聴者に対して、当時の
報道局長だったかのババアがいけしゃあしゃあと、「フジテレビの報道姿勢は反日ではない」と
言い放っていたことを庵主はよく覚えている。「ババア」というは「悪辣女」という意味である。
ネットで探せばそのときの映像があるかもしれない。あった。小田多恵子広報室長だった。

チャイナの、というより中国共産党の女報道官・華春瑩もそうだが、女は平気で嘘をつけるのだ。
TVの女天気予報士が言った天気予報が外れたので、「なぜ嘘を報道するのか」とTV局に抗議
してきた視聴者に局の人がこう言い放ったという笑い話がある。先のババアの釈明もそれである。
「お客さんも、あんな女の言うことを信じるのが間違ってるんですよ」と。納得させられちゃう。


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浅田真央を、日本人みんなのアイドルだという事で「一億人のアイドル」という言い方がある。
ご存じの通り、日本の人口は1億2700万人ぐらいだから、切り捨てた2700万人は
どうなっているのかという疑問がわいてくるのである。
疑問を持つ方が間違っているのであるが。

それは、口調の都合上「一億人」と言い切っただけだからである。
「柱の傷はおととしの」とか、「白髪三千丈」は、口調をととのえるための句なのである。
なぜ、「去年」でなくて、「一昨年」なのか。なぜ、大嘘とも思われる「三千丈」なのか。
「去年」としたら歌詞が字足らずになるから。「三千丈」でないと韻が踏めないからである。

終戦後の標語に「一億総懺悔」というのがあった。
その少し前までは「進め一億火の玉だ」というのが日本のキャッチフレーズだった。
当時の日本人の人口は約7000万人だったという。
差額の3000万人はどうしたのかというと、当時合邦中のチョウセン人の人口なのだという。

「一億人のアイドル」で切り捨てられた2700万人は、ひょっとして、そっちの勢力ないし
反日日本人の数なのかもしれない。
登録されている在日チョウセン人が60万、帰化したソレが200万ぐらいか、それに朝鮮宗教
の創価学会員公称800万人を加えてもまだ少し足りないか。在日チャイナ人を加えて。

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# by munojiya | 2017-04-15 16:50 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2017-04-14 突然、北鮮空爆の期待が高まったのはなぜか
突然のことなのである。突然といっても、情弱の庵主にはそう見えるという事である。
今、にわかに、米軍が北鮮を空爆するという期待〈くうき〉が沸き起こったのである。
空爆したら、その下で、すなわち地上で何が起こるのか想像できない人がいるらしい。
情弱の庵主にはこの時期に北鮮空爆の期待が高まった理由が分かるわけがないのである。

おそらくは頭のいい人がそのシナリオを書いているのだろう。事前にバレるのだから下手くそか。
庵主はこれまでも頭のいい人が書いたシナリオで作られた映画ばかり見せられてきたのである。
映画の中で何が起こるかは、映画を作った人は分かっているのに、それを知らない庵主は映画を
娯楽として眺めるしかなかったのである。映画を作る立場になかったからである。

庵主は、お酒においては常に呑み手であって、造り手であったことはないのだ。
映画もまた、観る方であって、作る方であったことはない。
常に与えられた運命を享受してきたのである。
今度の北鮮空爆期待も、何か起こっても、また起こらなくても、ただ眺めているだけなのである。

南鮮の次の大統領は「親北朝鮮」の「文在寅」だと誰もが分かっているらしい。
なので、それを阻止するために「政治」が動いたのかもしれない。
政治というのは、これからどうなるのでしょうと待つものではなくて、これからどうするという
意思決定をすることなのだという。何が起こるのかを待っているのは馬鹿だというのである。

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この見方は鋭い。というより、そう思わない方がおかしいのである
もっとも、南鮮にいる日本人の人数を思えば邦人保護なんか不可能なのだけど。
在南鮮日本人保護のために大使を帰任させたってな戯言を本当に信じているの?
戦後、国外に於いて日本政府が邦人保護をやった事があるのかね。

安倍政権が、南鮮への渡航禁止令や在韓邦人の帰国勧告も出していない状況で、「邦人保護」
なんて、大使を帰任させる為の言い訳でしょう。
未だに、南鮮に留まったり、旅行に行く奴なんて、安倍一派が大好きな自己責任主義で、放置
しておけばいいだけじゃないのかね。

件の大使は、自衛隊の南鮮派遣を南鮮に受け入れさせる為に帰任させられたと思うよ。
典拠米)。映画は先に筋を知ってしまうとつまらないのだけれど。
半島情勢が風雲急を告げているのに国会は籠脱け問題のみを議論し、国防問題を議論しないのはなぜだ?!。

北朝鮮がミサイルを打ち上げたときも国防相はコメントひとつせず何をしていたか?。[中略]
安倍首相よ国防相を中谷さんに戻してあげなさい。人には「分相応」という言葉があります。
首相、国防相、財務相、外相など外国とつながりのある大臣は、大臣病のために変えるものでは
ありません。』(同前米)。

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同「乙」「5月9日までに半島有事が起こる!」。残念、外れでした。
そして「丙」「駐韓大使帰任へ本当の理由とは?」。
さらに「丁」「北のXデーが迫ってる?」。

もう一つ「戊」「日本は軍事を備えよ」(←この日本語おかしくないか)。
日本国民にとって最も重要な事実は、アメリカが北朝鮮を●●[原文どおり]したとき、
間違いなく北朝鮮軍が反撃としてソウルを壊滅させるという点です。』(同前5:42)。
「日本は半島有事に備える必要がある」という。果たして警告なのか、雷同〈ブーム〉なのか。

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# by munojiya | 2017-04-14 00:04 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2017-04-14 「菅」官房長官は本当は「かす」さんなのかも
あの堅物と思われていた菅義偉官房長官が安目を売ってしまったのである。男を下げたのである。
そのセリフで、これまで築きあげてきた信用を一気に失ってしまった。
「チョウセン人(形容詞)だったのか」とバレてしまったのである。
かみさんがソレで、官房長官がソレだとしたら、総理もまたソレの可能性が高くなってきた

菅官房長官の答弁はマジで糞
[査恵子]が勝手にやった事だから官邸は知らない
だから調査もしないし分からないけど谷が勝手にやったのは確か
これは政治家以前に人としてカスだろ』(典拠86)。

ちなみに「糞」とはチョウセン人に掛かる枕詞である。
チョウセン人は狗肉と雲古が好きだという民族的特性を皮肉っているのである。
なんだ、菅義偉さんは、先の親北の菅直人と同じ「菅」姓なのもアヤシかったが、
「息を吐くように嘘をつく」人だったのかとバレてしまったのである。

「菅」も「すが」ではなく、本当は「カス」と読むのかもしれないが。
それをひっくり返して「すが」なのかも。否、官房長官とは真面目に嘘をつくのが仕事なのかも。
お酒のことを「キス」ともいう。
それは「好き(お酒のこと)」をひっくり返した隠語なのである。

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# by munojiya | 2017-04-14 00:03 | Trackback | Comments(0)
2017-04-13 ヤソ教の「神」は神ではないという正論
「やそきょう」と打って変換したら「ヤソ教」としか変換できないのである。
ジャパニスト2003は。信心のないワープロ字書なのである。
そのくせ、「創価学会」は一発で変換できるから、ワードの字書作りはチャイナ人が下請けを
しているらしいが、ジャバニスト2003は南鮮人が作っているのかもしれない。

ワープロの字書は使う人が育てていくものだから、デフォルトの登録語彙に不備があっても文句
を言ってもはじまらないのだ。使い勝手の悪いワープロ字書は使っている人の責任なのだから。
で、さっそく語彙を登録した。(ややあって)耶蘇教と一発で変換できるようなったのである。
庵主が「キリスト教」を「耶蘇教」と書くのは字数節約の原則によるのである。

「基督教」だから、「基教」と書けば2文字ですむのだが、それはやりすぎに思えるので。
『私はある時期より「キリスト教」という表記をやめて「耶蘇教」と書くようにしている。』
典拠)という正論がある。なるほど、である。耶蘇教でいいのである。
ならば「創価学会」は「南鮮教」でいいのか。「統一教会」は「北鮮教」か。思案を要するが。

似たような意味でキリスト教におけるGodを「神」と表記しない。「神」とはあくまで神道
の神であって、耶蘇教的造物主ではありえない。この場合旧来使われた「天主」を使用するのが
妥当であろう。』(同)。庵主が感じていた耶蘇教の神と日本の神との違和感が解消されたのだ。
「酒」(酒一般)と「お酒」(日本酒の事)を同じに思っていたようなものである。

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「天主」を使うとまるで耶蘇教の造物主が天の主であることを認容しているような錯覚も
受けかねないので不満はあるが、一神教と多神教の概念の違いも無視して「神」という同一呼称
で呼ぶよりははるかに良い態度であると思う。』(典拠)。
そこで、Godは文字通り「逆犬〈ぎゃくけん〉」と呼ぶというのは如何だろうか。

「dog」の逆だから「逆犬」である。
さすがに「天主」を「犬」呼ばわりするのはまずいので「賢」の字に代えて「逆賢」である。
「逆」も麗字ではないので、「逆」を「げき」と読んで「激賢〈げきけん〉」とすればいのだ。
「賢すぎるもの」である。

いや「天酒」と当てるのが一番いいのかもしれない。
それなら、つい様をつけて天酒様と呼びたくなるのである。
「激賢」というのは、まさに逆犬を如実に表現している言葉になっているのである。
耶蘇教の激賢は「俺の言うことを聞かない奴は皆殺しにしていい」という激しい気性なのだ。

日本人から見たら、殆ど気違いにしか見えないのである。
度を過ぎた淫乱を激しすぎるという。激賢もそういう点では激しすぎるのである。適訳である。
「賢」は「クール」という意味である。「クール」には相反する二義があることはご存じの通り
である。激賢の二重人格をも的確に表現しているのである。Godは激賢と呼ぶのがいいのだ。

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キリスト教徒でもないのに、イエスを救い主と呼ぶのはおかしいですよね(笑)
私が、中国と呼ばずに支那と呼ぶのと同じ感覚だと思います。』(典拠米6)。
そういえば、「支那そば」はいまは何と呼んでいるのだろうか。
「中国そば」でいいのか。そんな“そば”を食いたい人がいますか。

食べるのなら、おいしい支那そばでしょうに。
「ラーメン」というのも、日本で異常な進化を遂げてしまい、もはや郷愁の支那そばの範疇を
逸脱した化け物に進化してしまっている。いわゆる「ラーメン」は支那そばとは別物である。
お酒もそれに似て最近の酒は化学実験みたいに観念的に造られたものが増えてきたのである。

ラーメンはよりうまいものを目指して、作り手があの手この手で進化させてきたものである。
スープなら、鶏ガラに豚だの牛だの煮干しだのを加えたらもっとうまくなるだろうという思考で
改善してきたのである。それはそれで楽しい味ではあるのだが、鶏スープのうまさからどんどん
離れていってしまい、ついにあの郷愁の味わいのスープが作れなくなってしまったのである。

案外、庵主の郷愁のラーメンは鶏ガラに味の素と胡椒の香りだったのかもしれないが、
今時のラーメンでは味わえない、最高に旨いラーメンだったのである。また食べたくなる味の。
最近のお酒は、精米歩合の向上や酵母の改良もあって、みんな奇麗になってきている。
素朴な美しさに溢れていた少女が、長じて化粧が上手になったような印象を受けるである。

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確かスペインに売られた日本女子は耶蘇教=ユダヤ教徒=異端だったと記録されてますね。
十字軍人身売買や魔女狩り拷問全盛期のヨーロッパに、殆ど丸裸で売られていく嘆き苦しむ
日本人婦女子に、嘆いた使節団が豊臣秀吉に直訴してキリシタン狩りを始まったとか。
改宗すれば赦されるが、人身売買に荷担した者は刑場に引き渡され見せしめにされた。

灯籠流しが海から売られていった娘や子供たちの慰霊燈なんてことすぐに想像がつきますね。
この宗教を利用した人身売買似非キリシタンユダヤ商人のえげつない凄惨な歴史のために、
ユダヤ教徒は迫害されるに至ったのです。』(典拠)。ね、愛されるって怖いでしょう。
みんなよく物事〈れきし〉を知っているのである。連中がやった、否、今やっている事を。

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# by munojiya | 2017-04-13 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-04-13 「(南鮮の)在留邦人救出という課題」=無理
こういう時に「無理」という言葉が役に立つのである。
「無理数」というときに使われる「無理」は、庵主が理解するには無理があるけれど。
「米軍が北鮮を空爆する」という期待が高まっている。
ニュースネタとしては視聴率が取れそうなのに、マスコミはあまり伝えていないようだ。

半径5メートルで生活をしている庵主の庵までその熱が伝わってこないのである。
むしろ、ネットの方は「早くやれ」とばかりに、識者と思われる人達が興奮して付和雷同して
その期待を煽っているのが可笑しい。識者に知性はあるのか。冷静もないのである。
北鮮に対する空爆は、かつての911のようにかなり前から計画されていた事のようである。

すでに、避難訓練と称して、在韓在留米国人(軍人の家族)を沖縄に避難させたが、その家族を
そのまま沖縄にとどめているという話もある。報道がないので本当かどうかは判らないけれど。
オバマ大統領の置き土産なのかもしれない。もう計画が進んでいるから、今となっては結果が
出るまでやめられない状況になっているのではないか。何事も起こらなければいいのだが。

空爆をやれとはやし立てる識者には想像力がないのか。空から爆弾が降って来るのである。
「恐怖の大王」が地上に落ちてくるのだ。そんなことは人間がやる事じゃないだろうに。
湯田金だからやれる芸当なのである。いや、連中だけがやる芸当なのだ。だから嫌われる。
先の戦争ではお酒の質が大低落したから、それだけは真っ平なのである。旨いお酒が好きだから。

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朝鮮動乱は、いうならば隣家の火事である。
そんなことになつたら、日本もうかうかしていられないということである。
そうなったら、北鮮は南鮮を攻めるだろうし、南鮮人は日本と戦争を始める気なのである。
なぜ南鮮人は日本と戦争をするのか。その経緯はさきに「異星のファンタジー」て紹介した。

北鮮も、ひょっとしたら日本に弾道ミサイルを打ち込んでくるのではないかと言う人もいる。
北鮮のミサイルは本当に実用的に飛ぶものなのか、お手並み拝見ということになる。
自衛隊・米軍連合軍はそのミサイルを本当に打ち落とせるのか、これまたお手並み拝見である。
いや、拝見していたら、まず撃墜は無理だろうから、核ミサイルだったお陀仏である。

日本に火の粉が飛んでくる前に、南鮮内にいる在留邦人をどうやって救出するかが課題だという
救出なんて、まず無理だろう。邦人の命運は天にまかせるよりないのである。
そもそも用もないのに、他国で生活するということが言葉を帰れば侵略行為なのである。
自分の命は自分で守れ、としか言いようがないのである。

そういう事態になったら救出のしようがないから、そんなことにならないような知恵を出すのが
識者の振る舞いだろうに、今は物書きはよほど実入りが悪いのか、世間の空気に迎合する言説を
ばらまいて読者の歓心を買うことに恬も恥じることがないようである。
朝鮮動乱で発生する難民は日本では受け入れない。済州島が引き受けろ。物資の援助はするが。

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災難時の支援物資で思い出したが、南鮮では、被災者に支援物資を送るときに、ゴミを送る人が
いると聞いた事がある。
日本でも、自分が要らなくなったぼろ(といっていい古着など)を送る人がいるのだという。
支援物資は新品に限るのである。できれば現金がいいのである。

不幸な人にゴミを送りつける南鮮人の振る舞いは、創価学会の学会員の振る舞いを思い出す。
藤原弘達が亡くなったときに、祝電を送ったというのである。
おそらくは、そんな事をしたのはチョウセン人の信者なのだろう。ということにしておきたい。
創価学会が朝鮮宗教と呼ばれる謂いである。

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# by munojiya | 2017-04-13 00:03 | Trackback | Comments(0)
2017-04-12 幸せとは何か「違いの分からない俺」
幸せとは何か。
これに尽きるのである。
違いの分からない俺』(典拠)。
庵主は違いが判ることが差別の根源だと思っているのである。

そもそも、旨いお酒とそうでないお酒の違いが判らなければ、安いお酒で十分なのである。
旨いお酒を知ったら、旨いお酒はやっぱり、いい原料、いい造り、卓越した技のお酒でしか
味わえないということで、どうしても高いお酒になってしまうのである。
世の中にはお金を稼ぐために生きている人もいるが、庵主のような怠け者はそうではない。

無理をしないで生きているのである。向上心に燃えている人も苦手なのである。
「俺は、俺はが癌の元」と、そういう人の生き方を温かく見守っているのである。
効率主義者も苦手である。そんなに急いで効率的に生きたいというのなら、終点は死ぬことなの
だから、効率的にもっと早く死んだから如何と思ってしまうのである。その方が世のためになる。

庵主は、今のところ、コーヒーに関しては最高に幸せ状態である。
幸いなことに、どれが旨いコーヒーなのかが判らないのである。
還暦を過ぎてから飲み始めたコーヒーだから、何も先を急ぐことはないからである。。
コーヒーも酸味の旨いものを良しとすればいいという気持ちなので飲んでいるのである。

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地獄というのはこういうのをいうのである。
だいたい、庵主は「コーヒーバネット」なるものがある事をしらなかったのである。
ドリッパーはこれが一番旨くコーヒーを淹れられるというのである。
生きている世界が違うと、知らないものがたくさんあるのである。

コーヒー機器売り場に行ったら、ドリッパーにも、底に一つしか穴があいてないものや、それが
三つあるものとか、底の真ん中に直径1センチぐらいの大きな穴をくり抜いたものとかがあって、
庵主は吹き出してしまったのである。勿論、それを馬鹿にして笑ったのではない。
マニアの執念に感心して、心がなごんでしまったからである。

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# by munojiya | 2017-04-12 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2017-04-12 真実が日本とは異なる星のファンタジー(后篇)
このあたりからファンタジーに辻褄が合わないところが出てくるという。
6.1945年8月15日とは、日本が戦争に負けた日で韓国の建国記念日と教えている。
植民地支配から8月15日の独立の前後経緯は、「韓国戦争」に続く話につじつま合わないので
教えていない。

7.竹島は1950年6月~「韓国戦争」で日本を追い出し取り戻した島と教えている。
8.北朝鮮と1964年に国境紛争が発生したが、同じ民族で殺し合う大きな戦争にならず。
また一度も北朝鮮とは戦争していない。
同じ民族同志で戦争する理由もないと教えている。

9.日韓条約は過去の植民地支配の謝罪、賠償条約で、韓国の立場はこの条約を基本にしてる。
10.韓国は戦勝国で、国連設立に参加した当事国で最初の国連加盟国であると教えている。
この歴史観は40代の韓国人に共通した歴史認識として教育されており、韓国の小中学校で
週3~6時間この教育をしている。

韓国民は疑いもなく日本を恨むように教え込まれている。』(典拠米)。
南鮮のテレビの歴史ドラマのきらびやかな衣装は全部嘘、おっとファンタジーなのだという。
朝鮮では、その頃はどんな酒が飲まれていいたのか。口の悪い人はトンスルだというのである。
それではファンタジーにならないから、歴史の不都合と同様にその部分には触れないのである。

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(後注)
日本は国じゃなくて
星だってことを忘れてた。』(典拠3:00)。
同様に、お隣の南鮮も「星」なのである。見えていても、実は遠く離れている星、である。

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# by munojiya | 2017-04-12 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2017-04-11 美しいシコに座布団が舞う
この見出しはよくないのである。
「美しいシコ」なので座布団が舞ったと読めるからである。
言いたかったことは、「美しいシコ」と「座布団が舞う」光景のことである。
相撲における、静と動の美しさの対比である。

シコを奇麗に踏める力士が対戦するとこんなに美しい土俵になるという。
宇良と阿炎である。
庵主は甘口のお酒を旨いというが、お酒は辛口に限るという人もいるように、
シコも美しいものがいいという人と、シコは実利でなければならないという人がいるようだ。

そんなもの、お酒も、シコも、どっちだっていいのである。
美しければそれでよし、というのが日本人の感覚なのではないか。
一つ主義主張に拘泥する姿は美しくないのである。見苦しい。いや、暑苦しいと言っておこう。
庵主も、お酒は甘口が本来だとはいうが、それでも、超辛口のお酒とやらも口にするのである。

そして、超辛口なるものはやっぱりうまくないと思って安心するのである。庵主が正しいのだと。
自分の意に沿わないシコの踏み方であっても、それがいいという人がいるということである。
座布団は、褒める時にも使われるが、貶すときにも使われるのである。重宝なのである。
上手な洒落には座布団が出る。期待外れには座布団が飛ぶのである。それを舞うというのである

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高見盛ののし袋の受け取り方が綺麗[1:54]』(典拠米。次も同じ)。
なるほど、そういうところを見るのか。で、「のし袋」は「熨斗袋」と書きたい処である。
逆に『日馬富士が土俵割った後呼び出しを突き飛ばしてるとこイヤだなあ[2:43]』。
暗にモンゴル人の稚性を貶しているのである。悪役を買ってくれることに感謝しつつ、である。

外国人が悪役を買ってくれることで、日本人はいつも善人でいられるのである。
近くにチョウセン人がいることで、助けられている日本人は少なくない筈である。
ソレよりはマシだということで、生きていくことになんとか耐えられるからである。
自分が最低だと思った分には、生きていく希望がなくなってしまうというものである。

宇良の相撲にはこういう見方もある。宇良の相撲は美しくないというのである。
美しくないというよりは、日本人の美意識からずれていると言った方がいいのだろう。
日本人が求める相撲とはちょっと違うぞ、否、それは相撲じゃないよという主張である。
アル添酒はお酒じゃないという主張に似ている。見た目は同じように見えるのに、である。

日本人は、ご飯の時の米の違いや、お酒の銘柄には頓着しないのに、相撲には細かいのである。
その相撲の歴史は、日本人が笑う南鮮の嘘歴史に匹敵するファンタジーなのだという。
今の日本人が信じている「国技」なんて言葉はつい最近使われるようになったものなのである。
南鮮に対しては、それと同じ言葉が別の意味で使われることはご存じのとおりなのである。

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# by munojiya | 2017-04-11 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)