「ほっ」と。キャンペーン
泡盛はうまいか
 泡盛という焼酎があります。沖縄で造られているタイ米を原料とする焼酎です。独特の味わいがあります。その独特が問題なのです。独特ということはクセがあるということです。
 庵主は飲めません。そのにおいがいまでもなじめません。

 庵主は、かつては食べることのできないものも結構ありましたが、いまはやっと好き嫌いがなくなってきました。とある二つの食べ物を除いてですが。
 歳をとって神経が図太くなったというのか、歳とともに味覚が変わってきたというべきか、これまで口にしたくなかったものがなんとか食べられるようになったということです。 
 長生きすると味覚も変わってきます。これだけは早死にした人には絶対経験できないことです。長生きのご褒美といっていいでしょう。

 よくいい歳をした大人でピーマンがダメとか人参がダメというのを聞くとなんとなく哀れをもよおしますが、中には鶏肉がダメとかスイカのにおいがダメとかいうことはよくあることですから、そこまで立ち入ることはないのだと思います。が、それでもやっぱりそういうのを聞くといい歳をしてみっともないと庵主は思ってしまいます。これは個人的な感想ですが。

 また、牛乳は飲めないという人に牛乳を勧めるのはいらぬお節介というものです。牛乳は大人にはたいして栄養にならないということがわかっているからです。常識で考えても、子牛のための乳を人間が飲んでも体に合うわけがないとは思いませんか。牛乳を飲みたくないという人は飲む必要がないのです。
 人間の子どもなら母乳で育てるのが当たり前なのですが、乳業業者の戦略のせいか、牛乳は体にいいという信仰がばらまかれています。そういうことに疑問を感じないほどに、そういう迷信が跋扈しているのです。
 
 だから からだ が拒む食品を無理に食うことはないと庵主は思っています。
 とりわけ酒のにおいは最初はクセがあるだけに好き嫌いが発生しやすい食品です。
 それまで酒を飲んでいなかった人に芋焼酎を呑ませたら、多分そのにおいに拒絶反応をおこすはずです。庵主がそうでしたから。
 庵主は芋焼酎になじんでからも、泡盛は呑めませんでした。

 渋谷に沖縄物産を販売する「わしたショップ」があります。
 そのお店の泡盛コーナーには数多くの泡盛がそろっています。
 その一角で、島歌を歌う男と女のデュオ(二人組)「寿」(ことぶき)のミニコンサートが行なわれました。
 庵主は「寿」の評判を聞きつけて見に行きました。
 
 コンサートが始まるまえに泡盛の試飲をさせてくれました。「瑞泉」の長期熟成酒です。試飲洋の小さい紙コップに氷を掬って泡盛をとく、とく、とく、と少量そそいでくれます。
 紙コップのにおいはかなり強烈なのですが、泡盛はそれを上回るほどに強烈なにおいがありますから紙コップのにおいが気になりません。
 泡盛のにおい、やっぱり庵主には苦手です。でも酒の質が高いことはわかりました。これはいい酒です。いい酒には気品が感じられます。

 コンサートが始まると、こんどは春季限定のオリオンビール「いちばん桜」まで試飲させてくれました。
 すっかりいい気分になって最後は唄を聞いている人達とカチャーシをやってしまいました。
 「わしたショップ」は泡盛が好きな人にはそこに並んでいるいろいろな銘柄を見ているだけでも楽しくなってくるお店です。
 庵主が初めて目にする銘柄が棚いっぱいにいくつも並んでいましたが、さすがに「泡波」だけはありませんでした。
[PR]
# by munojiya | 2005-03-29 23:36 | 能書きが必要な酒 | Trackback(1) | Comments(0)
まぜて飲んだほうがうまい酒
 カクテルという酒の飲み方があります。ちがう酒をいくつか混ぜて飲むという飲み方です。
 単独で飲むよりもそのほうがうまいという理由からです。アルコール度数が高い酒をそのまま飲んだのでは飲みにくいという理由もあると思います。

 日本酒を使ったカクテルもあることはあるのですが、まっとうな日本酒は単独で呑んでも十分にうまいから、日本酒のカクテルというのは人気がありません。
 庵主に呑ませるとそれは邪道といっていい代物です。人気がない理由がわかります。洋酒の飲み方を真似てみてもかえってまずくなるだけだからです。
 
 これは聞いた話ですが、日本酒のカクテルで唯一酒がうまくなりそうなのは、まずい日本酒に一滴のゆず果汁をたらすという呑み方だそうです。アルコールの薄っぺらな感じが丸くなり、惚けた酸味がキリリとしまってうまくなるといいます。
 その時の柚子果汁は銘柄指定があって、柚子100%の本物でなくてはなりません。「樹齢100余年産天然果汁」で「土佐産」の「手しぼり」の「枯木ゆず」というゆず果汁がいちばんいいのだそうです。 
 一度ためしてみたいと思っています。

 銀河高原ビールが白ビールと黒ビールを混ぜて飲もうという車内吊り広告を見たのですが、肝心のその商品が売ってないのです。
 ふつう広告というのは、店頭に商品を並べておいてから打つものだと思いますが、激戦区のビールの広告で、しかも弱小の銀河高原ビールの商品ですから、そこいらのお店に置いてあるわけがありません。

 ところが、庵主の庵の近くにあるスーパーマーケットがどういうわけか銀河高原ビールを扱っていて、最近になってようやくその白と黒のビールが入荷しました。
 一つは「ホワイト ショット ビール」と書かれた「ホワイトビール」です。もう一つが「ブラック ショット ビール」と書かれた「スタウトビール」です。いずれも160ミリリットル入りの小振りの缶にはいっています。
 この二つのビールを好みで混ぜて飲むのがうまいというのが宣伝文句でした。

 まず単独で飲んでみました。
 白ビールは「ホワイトビールのフルーティーさに爽やかなドライ感が加わった新テイスト」とありますが、それほどうまくはありません。ヒューガルデンの白ビールのうまさに一日の長があります。
 黒ビールのほうは芳醇です。これはうまい。「ローストした麦芽の苦みと甘いカラメルフレーバーの奥深い味わい」と書かれているとおりのいいビールです。
 そして単独では飲むまでもない白ビールと黒ビールを混ぜると、俄然白ビールのうまさが立ち上がってきて飲めてしまいます。黒ピールはたっぷり濃厚なので多少白ビールをまぜてもびくともしません。単独で飲んだときとは違う味わいが楽しめます。

 カクテルの妙を体験できるビールです。
[PR]
# by munojiya | 2005-03-28 23:48 | 能書きが必要な酒 | Trackback | Comments(0)
鯨で「酔鯨」を呑む
 いまどき鯨の肉を出してくれるお店がある。鯨は捕ってはいけないという世界中からの対日いじめにあって、日本人の食伝統が阻害されていること久しいはずなのに、どこから鯨の肉を手にいれたのだろうかという疑問がわく。庵主も鯨は長いこと食べていない。ひょっとして合成鯨肉かと疑ってみたが調査捕鯨の鯨だという。
 お酒は高知の「酔鯨」を置いているという。
 鯨に「酔鯨」というのははたしてうまいのだろうかと好奇心からお店にはいってみた。

 酒は「酔鯨」だけだという。
 300ミリリットル瓶の純米吟醸が1500円、同本醸造が1200円、同生詰が980円とある。
 燗酒は1合で「竹壽」が840円である。
 「酔鯨」だけしか置いていないというから、気合のはいったお酒もあるのかと期待していたのだが、定番酒だけだった。

 たしかに酒祭りに酒名が印刷されているのだから、極上のお酒はないことがそれだけでわかるのである。
 いい酒はどうしても数が少ないから、年から年中いつでも手に入るというものではない。印刷できるということは同じものがいつでも手に入る品質の酒だということである。だから庵主が呑みに行く居酒屋の酒祭りは、手書きだったり、日替わりのコピーというのが普通である。その時々に手に入るうまい酒しか置いていないから印刷することができないのである。
 
 その鯨の店は日本酒の専門店ではないから、そこまで酒の味を追いかけてはいないというこである。
 ただ、300ミリリットル瓶で用意しているというのはいい。庵主のように量が呑めない人は初めから選択肢に入らない量ではあるが、2~3人で呑むのなら、へんに空気を吸っていないうまい状態でお酒が呑めるからである。

 ひょっとして印刷されているメニューには載っていないうまい「酔鯨」があるかもしれなと思って聞いたみたらそういう隠し技はないという。庵主の注文はしたがって1合の「竹壽」ということになる。燗酒である。
 庵主が普段呑んでいる「酔鯨」とはあきらかに違う格下の酒である。わざわざ呑むこともない味だった。
 アルコールがツンとくるところは昔ながらのなつかしい酒だった。庵主は久しくそういう燗酒は呑んだことがない。いつも呑んでいるのはぬる燗をつけてもらったもっと酒質のいい酒だから刺激的なツンがないのである。

 「竹壽」はけっして悪い酒ではない。すっきり感がある。しかし、庵主の口には合わない酒だった。 
 そして鯨はというと、唐揚げと焼き肉で食べてみたが、鯨の肉ってこんな味だったのかと、もうすでにその味を忘れていたのである。
 庵主は、鯨はべつに食えなくてもいいが、お酒だけはうまいものが呑みたい。いや、うまい酒でないと呑めないのである。
 今夜はあらためて、庵主が行きつけのお店の実力を知らされたのである。 
[PR]
# by munojiya | 2005-03-27 21:04 | 下手物を一杯だけ | Trackback(1) | Comments(0)
「冬樹」というお酒
 庵主が一番好きなお酒が「冬樹」の生酒です。秋田の福乃友が醸しているお酒で毎春3月の発売が待ち遠しいお酒です。
 このブログに掲げてある写真がその「冬樹」です。
 庵主が初めて「冬樹」に出会ったのは何年前のことだったか今では思い出すことができませんが、新宿の伊勢丹百貨店で行なわれていた秋田県物産フェアであったことははっきり覚えています。 
 その会場でたまたま目について全然期待することなく買ったお酒ですが、呑んでみてそのうまさにすっかり魅了されてしまいました。

 「冬樹」は地元産のキヨニシキという食用米を使って醸した純米吟醸酒です。酒造好適米ではなく地元でとれた普通の米を使ってうまい酒を造りあげたというところに地酒としての矜持が感じられるお酒です。
 単一タンクのお酒で無濾過の原酒ですからアルコール度数が18度~19度とかなり高いというのが特徴です。
 
 「冬樹」の生酒を初めて口にして感じたうまさはそのまろやかさでした。まるでやわらかいゼリーを口に含んでいるような感触にうっとりしました。
 これは酒ではない、天の美禄だと思いました。それまで庵主にとって酒というのはアルコールのことでした。アルコールのにおいがツンとくる液体のことでした。しかしこの「冬樹」は違っていました。
 アルコールがまろやかなのです。炭酸ガスがまだ酒の中にとけこんでいて心地よく喉を通り過ぎて行きます。そして甘いのです。そのふっくらした味わいは酒ではなく、米の恵みの甘露な液体を味わうような気持で呑んでいました。

 それ以来、すっかり「冬樹」の生酒のまろやかな甘さの虜になってしまいました。
 庵主は甘い酒が好みです。いわゆる辛口のお酒は呑めません。
 日本酒はよく甘口とか辛口とか言われますが、一応日本酒度というのがあって+(プラス)は辛口、-(マイナス)は甘口とされていますが、必ずしも呑んだときの感じとは一致しません。
 辛口のお酒でも呑んだときに甘く感じるお酒が少なくありません。庵主が好きなお酒はそういう甘いお酒です。

 そして庵主の好みはアルコール度数が高いお酒です。普通のお酒は呑みやすくするために加水して15度ぐらいに調整してありますが、「冬樹」は原酒なのでアルコール度数が18度以上~19度未満のお酒です。
 庵主は17度ぐらいのお酒を呑むとそれだけでうまいと感じてしまいます。15度前後の酒を呑むとなんとなく水っぽく感じてしまい呑んでいても満足感が得られませんが、「冬樹」は呑んだときに酒を呑んだという充実感が味わえます。

 「冬樹」の生酒が庵主のお勧めです。同じ「冬樹」でも火入れの「冬樹」は庵主は呑みません。表情が全然ちがうからです。生酒のまろやかさが火入れでは性格がかなりきつくなるからです。

 今年の「冬樹」は3月12日発売と聞きました。まだ庵主は手に入れていません。
 以前は伊勢丹百貨店で買っていたのですが、感じるところがあって伊勢丹を敬遠するようになってからは、赤羽のセシメ酒店とか、銀座の三越百貨店、船橋の東武百貨店を頼りにしています。去年は千葉のそごう百貨店で手に入れました。そのへんのお店をあたれば手に入ると思っています。

 思えば、「冬樹」の味は十分にわかっているわけですから、わざわざ呑むまでもないのですが、「冬樹」の生酒を呑むことが庵主の年中行事となってしまいました。 
[PR]
# by munojiya | 2005-03-25 23:47 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
芋焼酎を呑む夜
 花粉症の季節である。庵主もベテランの花粉症患者である。薬をのむ趣味がないのと、どうせ5月の連休が明けるころには症状が治まるのが分かっているから、たいして花粉症対策というのをしていない。安いテッシュペーパーを多めに買いこんでくることだけである。

 この時分は庵主にとっては日本酒が呑めない時期である。鼻が詰まっているときはにおいが嗅げないから酒の味がわからない。鼻が通っている時間も喉が痛んでいるから、せっかくのお酒のうまさが喉で味わえない。喉がおさまっているときでも目が痒いからおちおちお酒を呑んでいられないのである。

 健康なときはしっかり味わえるお酒の味がこの季節には中途半端にしか楽しめないから呑んでもおもしろくないのである。だから、進んでお酒を呑むことはない。
 そういうわけで、いまは日本酒を呑んでもおもしろくないから、焼酎を呑んでみることにした。

 庵主は焼酎を呑んでもうまいと思うことがほとんどない。いい酒だなと感じる場合もあるを呑んでもうまいという感興がわいてこないのである。日本酒の滲み出てくるうまさに比べたら、焼酎はただアルコール度数のはったりがきいている酒とか思えないのである。
 日本酒のうまさが繊細だとすると、焼酎のうまさは豪快といったところだろう。

 神泉(しんせん)に落ち着ける焼酎バーがあるという。神泉は渋谷から井の頭線で一つ目の駅である。
 雰囲気がいいお店だということなので出かけてみた。
 雨が降っている。雨の日は花粉が穏やかだということで庵主の外出日なのである。

 庵主には不案内の駅である。駅に降りたが道が入り組んでいる。頭の中にたたきこんだ地図と実際に現地に立ったときの感覚が一致しないのである。
 道を間違えてぜんせん違う通りにでてしまった。いったん駅に戻って最初から出直してやっとそのお店にたどりつくことができた。

 評判どおり静かないいお店だった。
 酒祭り(「むの字屋」用語で酒のメニューのこと)を見ると、呑み手の期待を裏切らない銘柄が並んでいる。これが呑みたかったという銘柄もある。
 じっくり酒祭りを楽しんだ。選ばれた一つひとつの銘柄が想像を高めてくれる。しばし酒祭りの中に遊んでしまった。見応えのある酒祭りなのである。

 庵主が選んだのは芋焼酎の「六代目百合」である。35度と25度が出ていたが、35度を頼んだら今は入荷待ちということで25度を呑むことにした。
 マスターが「百合」のパンフレットがあるといって見せてくれた。六代目塩田将史がおばあちゃんの造った麹を使って常圧で蒸留した芋焼酎とある。

 焼酎は家業でやっている小規模の蔵元が多い。生産量が少ないからそれがうまいという評判が立つと奪い合いになるのである。
 量が少ないのなら、地元ではけるのだから放っておけばいいものを、酒販店なり雑誌の特集なりで世に知られていない銘柄を知っているのが商売とばかりにこれはうまい焼酎だと紹介するものだから庵主などはほんとにうまいのかなとつい気になるのである。

 庵主は酒を直接蔵元に注文するとか、ネットオークションで買うということはしない。そこまでして酒を呑むことはないと思っているからである。また酒販店や居酒屋に行けばすぐ買えるのに手間暇をかけて求めるというのが面倒くさいからである。手に入らない酒を追いかけるほど執念がないのである。
 そして、不思議なことに、呑みたいと思っているとそのお酒がなぜか向こうの方からやってくるようになったからである。

 今夜の「六代目百合」もそうだった。ここで呑めるとは思わなかったのにちゃんと酒祭りに載っているのである。呑む酒はためらわずそれである。
 ストレートで呑む。水をたっぷりもらう。グラスの量は110ミリリットルである。25度の酒だからアルコール量は27.5ミリリットルである。日本酒換算(17度として)で160ミリリットルである。それ一杯で庵主の限界に近い。

 [百合」は芋焼酎である。ていねいに造られている酒であることはわかる。しかしそれのどこがうまいのかやっぱり庵主にはわからない。
 香りを味わってみる。器用な人は、その香りの中に洋梨とかなんとかベリーやナッツの香りとかを感じるのだろうが、庵主にそんな趣味はない。全体の味がうまいかどうかである。味の中にほんのり塩みを感じた。
 要するに庵主の味覚には焼酎の基準となる味がないということなのである。
 とりあえず、「六代目百合」は呑んだという足跡だけを残してきたのである。

 「万暦」(ばんれき)があった。44度である。
 25度の焼酎は、日本酒に比べると相当アルコール度数が高いが、庵主にはなんとなく水っぽく感じる。ちょうど15度前後の日本酒を呑んだときに水っぽく感じるのと同じである。やはり日本酒なら17~18度ぐらい、焼酎なら45度ぐらいの度数がうまいと感じるのである。いずれもそのまま呑んだのでは体にはよくない度数ではあるが。
 「万暦」で締めることにした。

 「万暦」は冷凍庫にはいっていた。しかし凍ってはいない。ショットグラスに注がれる「万暦」はとろーりといった感じをたたえている。40ミリリットルのショットグラスがすぐ曇る。
 焼酎もこれはすごいと感じる。うまいとは思わないが、呑んだときの第一印象がすごいの一言である。ただし、いまは花粉症で少々舌が荒れているせいか、度数が高いせいもあるが刺激がかなり強い。一口を含んで香りを楽しみ舌にのせたときの感触をたしかめて呑み込んだらすかさず水をたっぷり飲み込んだ。

 十分な焼酎だった。 
[PR]
# by munojiya | 2005-03-23 23:48 | 能書きが必要な酒 | Trackback | Comments(0)
うまい酒しか呑めない体質
 庵主は酒が呑めません。といっても全然呑めないのではなく、量が呑めないのです。
 コップ一杯のビールが飲みきれません。最初の一口、そしてコップに半分ぐらいまではうまいのです。でもそれ以上はいりません。必要以上に飲むと、さっきのうまさが感じられなくなるどころか、ビールにまずさを感じてしまうのです。せっかくうまいと思って飲んだビールなのに、飲み過ぎてそれをわざわざまずくすることはありません。だから、残すのはもったいなと思ってはいてもビールを飲んでまずいと感じるようになったらためらわず飲み残してしまいます。

 一番困るのが生ビールを飲むときです。
 庵主は選択肢がある時は、まず生ビールしか飲みません。この場合の生というのは正しくは生樽ビールのことです。20リットルぐらいはいるアルミ製の樽にはいったビールのことです。生がなければ瓶ビールにします。最悪は缶ビールです。普段は好んで缶ビールを飲むことはありませんが、しかたなしに飲む場合は缶ビールでも拒むことはありません。

 生ビールが困るというのは、普通はジョッキで出てくるからです。多過ぎるのです。庵主はコップ一杯で十分なのですが、コップでくださいとはなんとなくいいにくい雰囲気があります。東京の暮らしが長いものだから、つい見栄をはってしまい、押し売りといっていい生ビールの売り方に、すなわち必要以上の量を売りつけるという商売に注文をつけることができないのです。
 けっきょく半分以上残してしまうから、ほんとうにもったいなといつも思っています。
 だから、ビールは「ポパイ」とか「蔵くら」のようなビールの専門店でしか飲みません。あるいは「与太呂」のように、飲みたい量だけ生ビールを出してくれるお店で飲んでいます。

 お酒なら、一番小さい日本酒グラスに半分ぐらいしか呑みません。柳宗理がデザインしたという日本酒用のグラスです。銀座の福光屋のアンテナショップなどで200~300円で売っている安いグラスです。
 日本酒グラスには大・中・小と大きさの違うものがあります。その一番小さいグラスを使っています。大グラスは180cc、中グラスは120cc、小グラスは60ccと聞いていたので、いま使っている小グラスはてっきり容量が60ccだとばかり思っていたのですが、実は50ccだったことを知って、なるほどもらったお酒がいくら呑んでも減らないわけだと納得した次第です。

 小グラスに3分の1ぐらいしかお酒を呑みません。それだけの量でも香りから、味から、のどごしの感触から、呑んだあとの満足感まで一通り楽しめるからです。
 少量でも十分に満喫できるようなしっかりしたお酒しか呑んでいないということです。
 一回に20ccぐらい呑んでいるのかと思っていたのですが、それが50ccグラスだったのでさらに少ない量でお酒を味わっていたことになります。
 もっともそれだけでおさまるわけはなく、つぎに別のお酒をまた同じぐらい、それでも物足りないときはさらに三つ目のお酒を同量味わいますから、庵主の酒量は締めて5勺といったところです。

 その日本酒グラスのことをプレゼントグラスとでもいっておきましょうか、小グラスよりさらに一回り小さい50ccのグラスは試飲会の会場で「使ったあとはどうぞお持ち帰りください」ということでもらったものでした。
 通常の60ccのグラスでもたいして値段は変わらないでしようか、せっかくくれるのなら60ccのグラスにしてほしかったと庵主は思います。
 60ccのグラスなら、3杯呑んだらちょうど1合ということで、なんとなくきちっとおさまる気がするからです。
もっともプレゼントグラスは、試飲会場内でお酒を飲み過ぎることのないようにと親切心からわざと一回り小さく作ったものかもしれません。

 長い前置きでしたが、庵主はお酒の量が呑めないので、最初からうまい酒を選んで飲むことになります。あとからうまい酒が出てきても、もう入らないからです。
 したがって量を重ねることで楽しめる酔いというのは庵主にはわかりません。そこまで呑めないのですから。

 「水芭蕉」の蔵に行って、鑑評会用の斗瓶取り大吟醸を試飲してきました。
 呑めます。こういうお酒なら庵主でも呑めます。呑んでいて、あんまりうまいので嬉しくなってきます。その時ばかりは花粉症が吹っ飛んでいました。それまでは鼻がつまって匂いがわからないな状態だったというのに、ちゃんと鼻が通ってお酒の香りがわかるではありませんか。人間、好きなことをやっていると病を忘れてしまいます。

 その夜は蔵元で買ってきた「水芭蕉」を呑みながら食事をしました。
 大吟醸でも、ビンテージの本醸造でもうまいこと。
 その席で「壱乃越州」の差し入れがあったのですが、これは明らかにそのとき呑んでいた「水芭蕉」とは次元の違うお酒でした。発想が違うお酒といったほうがいいかもしれません。志が違う酒とまではいいませんが、そこにいただれもが一口飲んでそれ以上には呑もうとしなかったのです。

 庵主に関しては、はっきりいって、「壱乃越州」は呑めませんでした。
 「壱乃越州」は「久保田」を造っている朝日酒造のお酒です。本醸造です。「越州」は純米吟醸の「悟乃越州」とか純米大吟醸の「禄乃越州」まであるシリーズですから、上のクラスのお酒はうまいのかもしれませんが、「壱乃越州」はぜんぜん生気が感じられない本醸造でした。
 生気が感じられないお酒は呑んでいてもおいしくないということは日本酒庵「むの字屋」でおりにふれて書いていることです。

 「水芭蕉」を醸している永井酒造はまた「力鶴」の酒銘でワンカップ酒を造っていました。冗談のつもりで買ってきて呑んでみましたが、冗談以前の酒でした。
 もろに醸造アルコールの味です。焼酎として売った方が正しいのではないかと思える凄い酒でした。
 こういう酒を造っているようじゃねえ、と隣のF氏に同意を求めたら、「いや、そういう酒を好む人がいるのだからでそれはそれでいいでしょう」と冷静な答が返ってきました。

 たしかに、そのとおりです。人もいろいろ、酒の好みもいろいろですから。
 でも、そういう酒が出てきたら、庵主には呑めません。というより体が受け付けません。
 贅沢をいっているのではなくて、うまい酒しか呑めない体質なのです。
 もう一つでもを重ねます。庵主は、じつはそういうお酒も怖いもの見たさで呑んでみたくなるのです。下手物も大好きなのです。好奇心です。
 もっともそういう酒をもらっても、一口飲んであとはお風呂にいれてしまいますが。 
[PR]
# by munojiya | 2005-03-22 21:22 | 下手物を一杯だけ | Trackback | Comments(0)
さあうまい日本酒を呑みましょう
 お酒を大きく二つに分けます。うまいお酒とそうでないお酒です。そうでないお酒をまずい酒といっても間違いではないのですが、まずいというのも一つの個性ですから、それを否定的にいうのはなんですので庵主はそういうお酒を「そうでないお酒」といったような婉曲的に否定する言葉遣いをしています。

 まずいということが個性だということは、こんなたとえをあげるとなんとなく察していただけるのではないでしょうか。
 芋焼酎です。いまでも、米焼酎、麦焼酎、芋焼酎と並べると芋の香りがひときわ際立っています。
 その昔、今から三十年ぐらい前のことになりますが、庵主が日本酒を呑み始めた頃、ついでにその焼酎なるものも呑んでみようとおもって芋焼酎を買ってきて飲んでみたことがあります。
 飲めませんでした。まずい酒だったのです。
 今でも芋焼酎の匂いになれていない人が初めて口にしたら、その時の感想は「まずい」酒という言葉になると思います。庵主がそうでした。

 そうなんです。まずいというのは、想定外の味を口のしたときに出てくる言葉であって、お酒自体のよしあしとは関係がないということなのです。
 今、庵主は焼酎といえば、芋です。あの香りがたまらなく甘いと感じるようななりました。もっとも庵主は好んで焼酎を呑むことはありませんので、あくまでも焼酎を呑むのなら芋焼酎がいいという意味合いでしかありませんが。

 お酒を呑んでいちばんつまらないのは、まずくはないがうまくもないというお酒です。そういうお酒こそまずいといっていい酒ではないかと思っています。
 たとえば、大手の酒造メーカーが造っているナショナルブランドと呼ばれている日本酒などがその例です。
 庵主みたいな日本酒好きは、普段は大手メーカーのお酒を選んで呑むことはまずありません。けっして悪いお酒ではありませんが、呑んでもうまいという満足感が得られないことがわかっているから最初から相手にしていないのです。

 それと、同じお金を出すのなら、大手メーカーの大量生産酒よりうまいお酒がいくらでもあるからです。値段が同じなら、おいしいお酒を呑みたいと思うのは人の常です。
 お酒は酔っぱらいさえすればいいという人は大手メーカーのお酒でもいいのでしょうが、一度うまい日本酒を知ったらもうその手のお酒は呑めません。
 選んで呑んでも期待外れのまずい酒があるのですから、外れであることが多いことがわかっている大手メーカーの酒は呑むまでもないということです。無視することはないにしても後回しにするお酒なのです。

 庵主は酒を飲むことが好きなので、そういうお酒も時には選んで飲むことがあります。でもやっぱり庵主の期待水準を上回るお酒は少ない、いやほとんどないというのが実態です。
 それにうまいお酒は呑んでいて気持がいいのですが、年をとってくるとまずい酒はからだによくないということがわかってきます。
 まずい酒が呑めるのは体力がある若いうちだということです。
 
 好んでまずい酒を飲むことはありませんが、若いうちはそんなに酒代をひねりだすこともできないでしょうから、経験だとおもってまずい酒でも我慢して呑んでおいても間違いではないとは思います。
 できれば、いいお酒でも必ずしも値段が高いというわけではありませんから、若いうちからいいお酒に親しむことができればそれにことしたことはありません。
 おっと肝心な前提を書くのを忘れていました。庵主のようにお酒の量が呑めない人はということです。大量に酒を飲まないと飲んだという気がしないという人はやっぱり安い酒でないと経済的に厳しいことかと思います。 
 
 では今日もうまいお酒を呑みましょう。
 今日は群馬のお酒「水芭蕉」(みずばしょう)の「大吟醸プレミア」を呑んでいます。
 1升瓶で1万円のお酒です。税込10500円のお酒です。
 とはいっても、一合売りの壜があって、それを呑んでいるのです。
 1一升1万円のお酒はちょっと買えませんが、それと同じお酒が千円で買えるならためらわず買うことができるというわけです。

 値段が安いわりにうまいお酒というのがありますが、おなじうまいとはいってもこの「大吟醸プレミア」はうまいの質が全然ちがいます。上品なのです。この場合、上品はじょうひんと読んではいけません。ゆうひんと読みます。品のいい、洗練されている、味わいの深い物という意味合いです。

 「水芭蕉」は庵主を寄せつけないようなとんでもないお酒も造っていますが、真っ当なお酒もしっかり造っている蔵元です。とんでもないお酒の方は、庵主は一口飲んで、それ以上飲めませんでしたが、この「大吟醸プレミア」をはじめとするいいランクのお酒はお買い得とも思えてしまうほどの酒質を手頃な値段で造っています。そういううまい方のお酒を選んで呑むことです。

 ちなみに「大吟醸プレミア」の仕様を書いておきましょう。
 原料米 兵庫県産山田錦、精白歩合36%(精白はラベルの表示どおりです)、日本酒度+5、アルコール分17.5、原材料名米、米麹、醸造用アルコール、 杜氏名杉浦正夫、出身地新潟県柏崎市。
 
 お酒は仕様では分かりません。同じ仕様でもぜんぜん異なる味わいのお酒ができるからです。お酒だけは呑んでみないとわかりません。
 お酒はいろいろなお酒を呑んだ人の勝ちです。とくにいいお酒になればなるほど造られた本数が少ないものですから、出会えたときに呑んでおかないとだれかに呑まれたらなくなってしまう世界なのです。
 
 「水芭蕉」の「大吟醸プレミア」みたいなきれいなお酒を呑むと本当に幸せな気持になってきます。ほんとうはこれを読んでいる人にもご馳走してあげたいのですが、ふだんはそんなにお酒が呑めない庵主なのに、このお酒は一合ながらもあっと言う間に壜が空になってしまいました。
[PR]
# by munojiya | 2005-03-21 19:05 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(3)
まずはうまいビールを一杯
 日本酒庵「むの字屋」のブログのはじまりです。
 ブログの目的は庵主の好みのお酒を紹介することです。
 庵主の好みに合うお酒を「うまい酒」といいます。
 庵主はうまいとは思わないけれども、いいお酒は「能書きが必要なお酒」と書きます。
 それ以外の変わったお酒のことを下手物と称して、それはそれなりに紹介します。

 日本酒を紹介するブログですが、どういうわけか最初はうまいビールの話です。
 今飲んでいるビールは「飛騨高山麦酒」のピルスナーです。
 値段だけ見ると贅沢なビールです。350ミリリットルの缶入りで税込577円のビールなのですから。 大手ビールメーカーの缶ビールの2倍です。100円前後で売られている発泡酒なら5本も買える値段ですから、冷静に考えたら買える値段ではありません。
 どんな商品でもそうですが、値段が2倍だから2倍うまいかというとそんなことはないからです。
 がしかし、このビールに関してはそれだけの価値があるから庵主は納得するのです。

 ピルスナーというのは日本の大手ビール会社が作っているビールと同じタイプのビールです。アサヒのスーパードライのようなビールです。日本人がビールといえば思い浮かべる味わいのビールです。
 だから、普段飲んでいるビールの味わいに比べてうまいかどうかはすぐわかるというわけです。
 「飛騨高山麦酒」のピルスナーはうまいのです。明らかにうまいのです。
 缶には「飛騨高山の天然水と麦芽100%仕込み」とあります。水の方は別に飛騨高山の天然水でなくても、水道水で造ってもビールの味はあまり変わらないということを本で読んだことがありますから、うまさの正体は使われている麦芽がいいものを使っているということなのでしょう。
 
 さらに缶には「ジャパンビアカップ インターナショナル ビアコンペティション 金賞」というシールが貼ってあります。ビールの味を知っている大方の人がその味わいのよさを認めたビールであるということです。
 注意書きには、生ビールなので「酵母が生きているため、にごりの出ることもありますが、品質には影響はありません」と書かれています。
 たしかにうっすらと濁っています。
 このビールだけを飲んだら、ふつうのビールと変わらないじゃないかと思いますが、庵主が飲んでみると体がためらうことなくすうーっと受け付けてしまうのです。それでこれがいいビールであることがわかるのです。
 
 日本酒もそうですが、これは値段が高いお酒だからうまい酒にちがいないと頭では思い込んでいても、体が受けつけないお酒が庵主にはあります。
 そうなんです。庵主は基本的にはお酒が呑めない体質なのです。ところが、うまい日本酒なら呑めるのです。体はうまい酒をちゃんと知っているということなのです。
 先だって、麒麟の発泡酒「淡麗」を飲もうとしたら喉につかえてしまったことがあります。一流メーカーが自信をもって造った酒ですから「淡麗」もけっしてダメなお酒ではないのでしょうが、その時は庵主の体はそれを受けつけませんでした。
 庵主はいま花粉症の真っ最中です。体力が弱っているのです。体力が弱っているときはお酒に限らず食い物はまずいものが食えません。
 まずいものを食ったり飲んだりするとからだによくないのです。

 庵主は肉体的な身体を「体」と書きます。精神も含めた身体を「からだ」と書き分けています。
 まずいものを無理に体に詰め込んだりするとそのあとが大変です。てきめんにからだの調子が悪くなります。だから庵主はまずいものは食わないことにしています。だからうまい酒しか呑めないといってもけっして贅沢をしているわけではないのです。うまいもの=高いものというわけではありませんから、いつもは質素な食生活ではありますが、うまいものを食べています。そういううまいもののことを庵主は真っ当な食い物と呼んでいます。
 お酒も同様です。からだがうまいというものしか呑めないのです。酒は飲まなくても命に別状があるわけではありませんから、まずい酒を無理してまで飲む必要がないということです。
 庵主のからだが喜んで受け付けるお酒が庵主にとってはうまい酒なのです。そして、そういう酒を見てみたらやっぱり真っ当なお酒でした。無理に安い原料を使ったり、見かけは本物に似せた造った模造酒はやっぱり無理があるようです。

 庵主は下手物の酒もまた大好きです。ただしそういうお酒は体力が弱っているときは体が受け付けませんから、体の調子がいいときに口にすることにしています。
 そういう日は、「今日は体の調子がいいからまずい酒が呑めるぞ」とうれしくなってくるほどです。
 それはまた乙な世界なのですが、まずい酒は普段は飲めません。そういう酒は飲もうと思っても一口飲んだだけで体が次を飲もうとしなくなるのです。体は正直です。
 
 「飛騨高山麦酒」のアルミ缶はピルスナーでもバィツェンでもみんな同じデザインの缶にはいっています。だから中にどんなビールが入っているのか外見では見分けがつきません。中に入っているビールがなんであるかは缶に貼られているシールに書かれています。
 製造年月日・賞味期限は添付のシールに表示と缶に印刷されていますが、そのシールには日付は書かれていませんでした。手抜きですね。
 お酒の温度管理のいいお店で買ってきたので、お店を信じることにしました。

 庵主はアルミ缶に直接口をつけてビールを飲むことはしません。必ずガラスのコップに注いで呑みます。アルミの臭いが嫌いだからです。
 そして、飲める量はせいぜい一合です。350ミリリットルのビールが飲みきれないのです、普段は。ところが、このピルスナーは、うまいうまいで1本飲みきってしまいました。
 庵主はうまい酒なら飲めます。

 庵主がお酒と書いたらもちろん日本酒のことです。お酒は呑むと書きます。それ以外のお酒は飲むと書きます。ビールは飲むです。その他の飲料も飲むです。焼酎はときに呑むであり、時に飲むとなります。じっくり呑んだときは飲む、伊達で飲んだときは飲むという感じです。

 今日もまたうまい酒を飲んでしまいました。量は飲めませんが、うまい酒に出会えた日は幸せな気持になります。
 このブログで、うまいお酒を呑みながらご一緒に幸せ気分にひたりたいと思います。
[PR]
# by munojiya | 2005-03-20 23:53 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)