なぜ日本酒の入門酒は「開運」なのか
庵主が日本酒を始めたいという人に勧めるお酒は静岡の「開運」である。
なぜかというと、
庵主は静岡のお酒が好きだからである。
その中でも「開運」のうまさがいちばんわかりやすいからである。

「開運」は比較的手にいれやすいお酒だということもお勧めの条件である。
いくらこのお酒がうまいから呑んでみてといっても
そのお酒が手に入らないのでは話にならないからである。
そして「開運」はお酒のランクの上下かかわらずそのうまさにブレがないということである。

高いお酒は高いなりに、安いお酒でもそれなりにしっかりとうまさが味わえるからである。
どの「開運」を手にとっても日本酒のうまさとはなにかということが分かるからである。
そしてこれが肝心なことだが庵主の美意識に叶う現代日本酒であるということである。
造り手の数が多くまた古い世代の呑み手も多いから昔からの味わいの酒も少なくない。

庵主は日本酒が吟醸酒を前面に出して売りはじめたころからお酒を始めたから
古い味わいのお酒が好きでないということである。
「開運」は波瀬正吉杜氏というスターが造っているうまいお酒である。
そして実はそのお酒は蔵元の土井社長の酒なのだということに気づいてほしいのである。
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# by munojiya | 2006-06-01 20:14 | Trackback | Comments(0)
読む人の負担にならない範囲に
ブログという新しい表現(=自己顕示欲)方法が出てきたのは2002年ごろのことである。
物を書き残すことが大好きな多くの日本人は歓迎したのである。
そういうことが大好きな庵主もすぐそれに乗ってしまったのである。
だれがその経費を負担しているのか分からないが只(ロハ)だったからである。

只(ただ)ほど高いものはないというから恐い物知らずだったということである。
酒が呑めないのに庵主がなぜ日本酒を語るのかというと
酒造りは日本人の文化であると捉えてその精神を書き残そう思ったからである。
その造りの中に日本人の美意識を見いだそうとしたからである。

ブログはほとんどが素人がやっているものだからデザイン的に読みにくいものが多い。
色遣いが悪くて目が疲れるものや、やたらと色付き太文字を使って読みにくいものなど、
坐ることを拒む椅子ではないが、読むことを拒むブログは枚挙に暇がないほどである。
せっかくのいい中身も見掛けが汚ないと読む気がおこらなくなるものである。

一番悪いブログは文章が長いものである。
しかもそれが行間なしに延々と続いていたりすると見ただけで読む気が失せてしまう。
ということでこのブログは読み手の負担にならないような長さにしてあるのである。
そして読みやすいように文体は、「娘通信るんるん体」なのである。
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# by munojiya | 2006-05-31 21:33 | Trackback | Comments(0)
酒が呑めないのになぜお酒が語れるのか
酒が呑めないのになぜ庵主はこうしてお酒を語れるのか。
それは酒を語っているわけではないからである。
庵主の好みを語っているからである。
好き嫌いだから即断できるのである、断定できるのである。

その基準はなにかというと庵主の美意識である。
二つのものがあったときにどちらが美しいかということである。
二つのお酒があったときにどちらが美しいかということである。
実際には悪い方はなぜ魅力的でないのかという理由を見極めているのである。

というのは美しい物は好ましい物だからケチを付ける必要がないからである。
そうでないお酒はなぜ気に食わないのかというその原因を考えているのである。
そうして思いついたことを書きつづけているのである。
つまりお酒を呑んでいるのではなくてその美しさを見ているということなのである。

美意識とはどうでもいい違いを詮索することである。
一見するとみんな同じように見えるお酒の違いにこだわるということである。
ささいな違いがわかるとその本質が見えてくるということなのである。
大袈裟にいえばそれによって本物とは何かという真理に迫れるということなのである。
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# by munojiya | 2006-05-30 20:26 | Trackback | Comments(0)
友里的グルメ批評
たとえば友里征耶(ともさと・ゆうや)というグルメ批評を書いている人がいる。
ヨイショを旨とするレストラン業界に対して
うまいものはうまい、まずいものはまずいとハッキリ書くものだから
そういう物書きは業界からは評判が悪い。

しかしそういう実直派の感想は自腹を切って食べに行く人たちには人気がある。
ヨイショ評論家の褒め言葉がどこまで本当なのか見極めることができるからである。
そしてまたそれが面白いのは1食が2万円も3万円もする食事をする人たちの
すなわち雲上人の洗練された感性の機微を読むことの楽しさである。

庵主の場合はすでに食事もお酒も摂取量がそれほど必要なくなっているから
健啖を旨とするグルメの世界はあっちの世界の話であるが、
そういう食べ手のすっとんきょうな美意識を読むのはおかしいから大好きなのである。
またその手の食事はどうしてもお金がかかるから素人には手が出せないのである。

ところが日本酒はその点がすごい。
高級酒が、貧乏人でも、おっと素人でも容易に呑めるのだから。
庵主がその証左である。
庵主が、うまいお酒はうまいまずいお酒はまずいといえるのもそのおかげなのである。
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# by munojiya | 2006-05-29 22:18 | Trackback | Comments(0)
心配ご無用
お酒に使われているアルコールは醗酵アルコールであって、
石油から造った合成アルコールではないから
食添のような心配はしなくてもいいとは書いたが、
アルコール自体が食添みたいなものだから本当はたいして変わらないのである。

醗酵アルコールは原料用アルコールとも呼ばれている。
酒はアルコールを造るものなのに
なぜわざわさ゚原料としてアルコールを添加しなければならないのかと考えれば
アルコールを添加したお酒は紛い物だということがわかる。

食添を使う目的は食品を商品として安定的に売って儲けるためである。
そのために保存・増量・発色・着色・着香に使うのである。
アルコールはそれらをすべて満たすのだから最高の食添なのである。
酒を飲むということは食添を丸かじりしているようなものである。

お酒を呑む人は
微量な食添よりもアルコールの方がずっと有害だということを忘れているのである。
ただしアルコールは人類の長年の経験で上手に呑まれつづけてきた毒なのである。
そして合成アルコールは食品用には使われていないということは確かである。
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# by munojiya | 2006-05-28 23:43 | Trackback | Comments(0)
清酒に添加するアルコールは合成アルコールではない
食品添加物が多用された現在の食品事情を危惧する声は小さくない。
とはいってもそれを避けた食事はできない状況だからそれは蟷螂の斧である。
気休めではあるが食添をなるべくとらないように心がけるだけしかない。
人間はその土地でとれたものを食べるのが一番体にいいという説もある。

庵主もそれにならう。
でも不毛の土地に住んでいる人たちはどうすればいいか。
和食が健康にいいということで世界的に見直されているという。
しかし現在の日本にまともな和食はあるのかということである。

豆腐、納豆、味噌汁は和食か。
その原料の大豆はそのほとんどが輸入品である。
どこに和食があるのか、みんなハーフ食品ではないか。
唯一最後の和食の砦は日本の米と土地の水を使って造る清酒なのである。

しかし実体はというとほとんどの清酒は輸入品のアルコールを添加した酒なのである。
そのアルコールを合成アルコールだから体によくないといういう人がいるが
お酒には石油から合成したアルコールは使っていない。
サトウキビなどから醗酵させて造る醸造アルコールだからそこまでは心配無用である。
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# by munojiya | 2006-05-27 21:40 | Trackback | Comments(0)
お酒とアルコール飲料の違い
庵主は常々お酒は呑めるがアルコール飲料は呑めないといっている。
主成分はどちらもアルコールなのにそのちがいはなにか。
お酒はアルコールが裏に隠れていてさりげなく味をひきたてている致酔飲料。
アルコール飲料はアルコールが表にでしゃばって出てきている致酔飲料である。

裏方のアルコールが表に出てくるのがいけないのである。
お酒は実力のある裏方がうまく呑み手を酔わせてくれるから気持ちがいいのである。
どっちが美しいか。
庵主は美しいものが好きだからより美しい方を好むということである。

アルコールをストレートに飲むというのは品がないということなのである。
昔の映画には戦時中の軍医が戦地で消毒用アルコールを飲むという場面がある。
酒はないけれど消毒用アルコールがあるというわけである。
しかしそういうアルコールの飲み方は下品だということを前提にした場面である。

戦争になったら普段はやらないそういうことも起こるというすさんだ気分を描いている。
今は平時である、そんなやくざな酒の飲み方をすることはないだろう。
だからアルコールを大量に混ぜただけの清酒を格下とみるのである。
庵主は念のため香水用の変性アルコールもなめてみたがやっばりそれはまずかった。
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# by munojiya | 2006-05-26 22:36 | Trackback | Comments(0)
酔っぱらいメディア
現在のマスコミの報道姿勢がどこかおかしいと感じているのは庵主だけではないだろう。
おかしいというのは三増酒を呑まされているような感じがするということである。
それを見たり読んだりしてもうまいものを呑んだという満足感が残らないのである。
もっとうまいニュースを読みたいという欲求が否めないということである。

その時々の人気のあるニュースに付和雷同してどっと報じるものだから中身が浅い。
その裏で起こっている肝心なことが隠されているのではないかという不安を感じるから
そういうニュースを読んだり見たりしてもしらけるだけなのである。
売れるのだからそれでいいとマスコミもかつての日本酒と同じような状態を呈している。

形だけはそれらしいが中身のないニュースを読まされても物足りないということである。
そういうのは子供だましの商品なのである、大人が読みたくなる記事がほしい。
お酒はうまいものがお酒であって、アルコールが入っているからお酒なのではない。
同様にニュースとは受け手にうまいと感じさせるものがなくてはならない。

米を原料にしてアルコールをまぜたそこそこに呑める酒が日本酒だと思われては困る。
今起こっていることがニュースだといってそれを垂れ流しているのでは困るのである。
お酒は呑み手が酔っぱらうものだが、ニュースは造り手が酔っぱらっているのである。
日本酒で起きた三増酒離れが既存のメディアでも起ころうとしているということである。
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# by munojiya | 2006-05-25 20:47 | Trackback | Comments(0)
その手の酒
呑み手の間でその手の酒とかそういう酒とか呼ばれている酒がある。
呑むまでもない酒という意味である。
それは決して悪い酒ではない。
呑んで死ぬわけではないからである。

ただ呑んでもつまらないのである。
うまいという満足感が残らない酒なのである。
だから、現在のようにいくらでもうまいお酒がある時には
呑むとしてもどうしてもあとまわしになる酒なのである。

それらの酒は日本酒にアルコールを混ぜた代用酒なのである。
税金を取る都合から酒税法で日本酒を名乗ることが許されている酒のことである。
日本酒というよりは日本酒風リキュールといったほうがいい。
淡麗辛口というのがその美称である。

ハッキリ言ってまともな美意識がある人ならその中身の薄さに閉口する酒である。
味が浅い。
形の美しさを優先するあまりに中身の美しさがそれについていかない酒だからである。
それらの酒が呑んでいてもすぐ飽きるのはそういう理由によるのである。
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# by munojiya | 2006-05-24 23:56 | Trackback | Comments(1)
お酒という言葉の範囲
庵主がお酒というときに指し示すその意味の範囲についてである。
お酒とはもちろん日本酒のことをいう。
ちょっと前までなら日本酒というのは酒税法上の清酒のことである。
5月1日から施行された新酒税法では醸造酒類の中の清酒のことをいう。

お酒の定義は法律一本でチョロチョロ変わるのである。
公式の定義はそうなのだが、
庵主がお酒といったときには実はうまいお酒しか想定していないのである。
大手酒造メーカーが造っている清酒はただのアルコール飲料だと思っている。

庵主はアルコール依存症ではないのでその手の酒を呑んでも満足できないからである。
庵主はいうなればうまいお酒依存症なのである。
体はべつにアルコールを欲しているわけではなくて、
真っ当なお酒のあのうまさを求めてやまないのである。

そのうまさに秘められている美しさが忘れられないのである。
そしてまともなお酒はその期待にまたきちんと応えてくれるからうれしいのである。
そこに技があるから気持ちいいのである。
造り手と呑み手の間にある信頼感がそこで繋がるからである。
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# by munojiya | 2006-05-23 20:40 | Trackback | Comments(3)