ラーメン屋のお酒
庵主はラーメンが好きである。
ラーメンもお酒同様うまいものは少ない。
ほとんどはわざわざたべるまでもないものばかりである。
それなのにいくらでも能書きをたれることができるところがお酒とおんなじである。

まずいということに存在価値がある世界なのである。
それもまた日本酒の世界と同じである。
そしてラーメンというのは日本人の文化なのである。
中国人にラーメンは作れない。

それはまったく日本酒と同じ、日本人だからやれる文化なのである。
アルコールを混ぜておけば酔っぱらうお酒になぜうまさが必要なのか。
たかがラーメンになぜそんなに味わいにこだわるのか。
ともに日本人は味わうことが好きだからである。

というより、そういうことに手を尽くすことが好きなのである。
そしてそういう技をきちんと見極めることが楽しいのである。
そういえばラーメン屋といえば酒はビールか紹興酒であることが多い。
日本酒が呑めるラーメン屋は少ないということに気がついた。
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# by munojiya | 2006-10-07 00:29 | Trackback | Comments(1)
この国のお酒
日本人なのに、
自分が生れた日本のことを、
わが国といわずにこの国という人がいる。
この国というとなんとなく自分は他の日本人より賢いという感じがするからである。

優越感を感じさせる言葉遣いなのである。
庵主は皮肉が大好きだから、ということは性格が悪いということであるが、
この国はどうしてこんなに駄目なんだろうかという人がいると
そりゃアンタがいるからだと教えてあげるのである。

たとえば司馬遼太郎という人気作家は「この国のかたち」と呼ぶ「この国派」である。
大学の専攻が蒙古語学科というからその心は狭い日本にゃ収まりきらなかったのだろう。
だから自国をこの国として天高くから眺めていたのである。
庵主は日本しか知らないのでもちろん「わが国派」である。

しかし、庵主はお酒に関しては「この国派」なのである。
はっきりいって「わが国」のお酒を馬鹿にしている、というよりそれに幻滅している。
「わが国」のお酒というのは大手酒造メーカーが造っている政府公認の見做し酒である。
「この国」の酒というのは日本人がこの風土で造った真っ当なうまいお酒だからである。
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# by munojiya | 2006-10-06 00:01 | Trackback | Comments(0)
おビール
敬語がこれまでの3分類から5分類になるという。
文化審議会の国語審議会の敬語小委員会の指針案である。
これまでの敬語は尊敬語、謙譲語、丁寧語と習ってきた。
謙譲語を1と2に分けて、さらに丁寧語と区別した美化語という分類を作るという。

美化語というのは、
「お酒」「お料理」「御祝儀」などの聞き手に上品な印象を与える表現のことだという。
そこで問題は接客業界用語の「おビール」なのである。
基本的には外来語には「お」をつけない。

「おコップ」とか「おウィスキー」などとはいわない。
「トレイ」に「お」をつけて「おトレイはありますか」と聞いたら、
聞き間違えられて「入口の右側の奥が化粧室です」と答えられかねない。
「ワイン」に「お」を付けたら「汚穢ン」に聞こえてしまうから飲む意欲がそがれる。

さて、庵主は「おビール」が苦手である。
はっきりいうと大嫌いなのだが、それを聞くと気持ちが悪いのだが、
それを言う人は悪気で言っているわけではないから困るのである。
そういう言葉は「無神経語」としてもう一つ分類を増やした方がいいみたいである。
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# by munojiya | 2006-10-05 08:54 | Trackback | Comments(0)
人が呑む酒じゃない
人といったときに、
その人間の中に、
黄色人種や黒色人種を念頭においていない人たちがいる。
さらにである。

白色人種に限定したところで特定の宗教以外の異教徒は含めていない人たちがいる。
特定の宗教であっても自分たちのグループ以外は人とみなしていない人たちがいる。
つまり自分達だけが人間だと思っているごく少数の人たちの意志が
現実には今の世界を動かしているといわれている。

庵主がそんなお酒は人が呑む酒じゃないといったときに
そこでいう人の中には、
その白色人種とか、あるいは黒色人種などのことは全然頭にないのである。
また日本人以外のことも念頭にはおいていない。

じつは
庵主がいう人というのは
自分自身だけのことなのである。
だからそれ以外の人がそのお酒を好んで呑む分には全然かまわないのである。
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# by munojiya | 2006-10-04 00:04 | Trackback | Comments(0)
「女酔っぱらいの唄」
オオタスセリをごぞんじですか。
「ストーカーと呼ばないで」という純情ロマンソングを歌って
いま注目をあびている女お笑い芸人である。 
「女酔っぱらいの唄」はそのオオタ・スセリの歌である。

この歌がおかしいのである、爆笑なのである。
コミックソングというのだろうか、その歌詞がおかしい。
一人の女の酒歴を語る歌である。
この歌が出ると場内にはあちこちからいろいろな笑いがわきおこる。

ある人は苦笑である。
ある人は同感の哄笑である。
ある人は憫笑だったりするがだれが聞いても絶対におかしいのである。
それぞれの笑いが他の人の笑いを誘って場内が大爆笑となるのに時間はかからない。

しかし、その歌のあとにオオタスセリが歌う
「キッチンドリンカー」の迫力に圧倒されながら
客はお酒が秘めている恐ろしさを知ってぞっとするのである。
オオタスセリのお酒の歌は実は見てはいけない恐い歌なのである。
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# by munojiya | 2006-10-03 01:04 | Trackback | Comments(0)
今夜はお酒がうまい
日本専売公社がうまそうに煙草を吸っている人の写真に
「今日も元気だ たばこがうまい!」とキャッチフレーズをつけたら
即、「今日も元気だ、たばこ、買うまい!」と禁煙主義者から返されたことがある。
だから、今夜はお酒がうまい、である。

お酒の表示には決まり文句があって、
キャッチフレーズのような「お酒は20歳になってから。」というのがある。
途中で切れているから、そのあとは「呑む量をひかえましょう」かと皮肉ることができる。
これじゃ暗に子供の飲酒をそそのかしているようなものである、と筆鋒はつづく。

本気で子供の飲酒を防ごうと思っているのなら、
煙草のようにパッケージの表面積の半分位を使ってはっきりわかるように書けばいい。
「未成年者の飲酒は法律で禁止されています。飲酒を唆した人は処罰されます」と。
「妊娠中は注意」とも書かれているが、「鬱病にも注意」と書いたらいいのではないか。

庵主はお酒の量が呑めない体質なのになぜ酒を呑むのかというと
じつは呑んだときのお酒のうまさで自分の鬱状態を計っているのである。
健康なときはお酒がうまいから、こころの底からうまいからもっと呑んでもいいのである。
うまいと感じないときは、今夜はお酒がうまいと思いながらそれ以上は呑まないのである。
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# by munojiya | 2006-10-02 02:12 | Trackback | Comments(0)
酒はかならずしも酔っぱらうために呑んでいるわけではない
お酒を呑む目的は実は呑み手もよく分かってはいないのである。
ふつうは酔っぱらうために呑むと思われているが
庵主のように酔うのはいやだけれど呑むという人もいるからである。
多くは惰性で呑んでいるということが多いのだろう。

お酒を呑むことが生活のリズムになってしまうと
その儀式をすませないと一日が終わった気がしなくなるのである。
呑まなくてもいい日に惰性で呑んだお酒は
今日の酒はうまくないということになるわけである。

人と一緒にお酒を呑むのが楽しいという人もいるだろうし
酒場の雰囲気が好きだという人もいるのである。
たまたま酒を口にしていても
酒に求めているものが人それぞれに違っているということである。

庵主はお酒が呑めないから呑むときにはうまいお酒でないと呑めない。
酒なら何でもいいという人もいる。
味にこだわらない人も少なくないのである。
お酒を呑むといっても本当は一律に括(くく)ることはできないのである。
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# by munojiya | 2006-10-01 00:54 | Trackback | Comments(0)
★鬱病とアルコール
鬱病の患者がふえている。
医者が患者をふやしているからである。
それまでは気のせいだとされていたものにまで病名をつけてしまうからである。
もっとも患者もそれで安心するし医者もそれで儲かるからだれも困らない。

鬱病についていえばよくいうならその治療範囲が広がったといったほうがいいのだろう。
自覚症状があるのにそれまでは検査しても何でもないとされていた症状に
鬱病という病名をつけて患者を安心させてくれるようになったのである。
プチ(軽微な)鬱症だとわかるとやっぱり病気だったのだと納得できるから気がおさまる。

鬱病のときにはアルコールを飲んではいけないという。
鬱病が原因でアルコール依存になることが意外に多いのだという。
何の楽しみもない病気だから何かないかという悪あがきがお酒にいってしまうという。
ところが酒を飲むと楽しくなるどころかかえって病状が悪くなるという。

元気な時に呑むお酒は百薬の長かもしれないが、鬱病時には酒は百悪の長である。
病気をさらに悪化させるからである。
すなわちお酒を呑んでおいしいと思っているうちは元気だという証なのである。
庵主はプチ鬱症の気があるからその時のお酒のうまさがそのバロメーターなのである。
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# by munojiya | 2006-10-01 00:16 | Trackback | Comments(0)
手の打ちようがない
いまどき三増酒なんかあるのかと思ったら
それがちゃんとあるのだからおかしい。
うれしいといったほうがいい。
お酒は勝手に造ってはいけないからそれを味見したいときに役立つからである。

そしてまっとうなお酒がいかにうまいかということがそれでよく分かるからである。
合成酒というのがある。
成分を組み合わせてお酒を造ろうという大胆な試みのことである。
人間を真似してロボットを造るようなものである。

人間の形をしたロボットはペットがわりになるかもしれないが、
お酒の見掛けをしたアルコール飲料はなんの役にもたたない。
それはお酒の代用品であって人間が呑むものとしてはろくでもないものだからである。
日本酒の多くは普通酒といわれる、いうならば合成酒なのである。

そんなお酒を造るべきではないと庵主は思うが現在の日本酒の主流はそれである。
それをうまいといわれたら庵主は苦笑するしかないが、
信念でそれを造っている大手酒造メーカー(日本酒メーカーとはいわない)にとっては
ほとんど量を呑まない呑み手である庵主の主張などは聞くまでもないのである。
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# by munojiya | 2006-09-30 01:51 | Trackback | Comments(0)
★もう一つのウソ報道のやり方
ウソ報道のもう一つのやり方は
事件があっても報道しないということである。
見ないことはないことにしてしまうことである。
そういうことが平気でできる人をジャーナリスト(野次馬←庵主訳)とはいわない。

そういうことをやるメディア(情報媒体)をジャーナリズムとはよばない。
バブルが崩壊したときに全然報道されなかったことがある。
株で大損して首をくくった人たちのことである。
今ならサラ金の借金が返せなくなって自殺してその保険で返済した人たちのことである。

サラ金返済自殺は年間4000人余というから毎日10人以上がそれで死んでいる。
このまえの三菱トラック方式で記事を作れば毎日サラ金自殺が起こっているのである。
そんなことは全然報道しない。
なぜか。

一つにはつまらないから読者がそんな記事を喜ばないからである。
サラ金は新聞やテレビにいっぱい広告代を払ってくれるスポンサーだからである。
じつは起こっていることを書かないということを「むの字屋」でもやっている。
大量に作られているパック酒の実態をはなから無視しているのである。
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# by munojiya | 2006-09-29 00:26 | Trackback | Comments(0)