卑猥なたとえなので嫌いな人は読まないで
わかりやすいたとえ話はその部分だけ取り出して非難されることがあると書いた。
てっとり早く理解してもらうために卑猥なたとえを出すことがあるとも書いた。
その実例なので、その手の話が嫌いな人は読まないでいただきたい。
禁酒法というのがアメリカで行なわれてそれが散々な結果を生んだことを書いた。

日本では今もそれに似た法律があるからそんな法律は糞だと言っているのである。
酒税法というのがあって、酒は個人は自由に造ってはいけないことになっている。
おっかしいでしょう。
酒なんか自宅で簡単に造れるのにそれを勝手に造ってはいけないというのである。

そんなことをされたら酒税を取れなくなるからというお上の都合である。
それを庵主はセンズリ禁止法と呼んでいる。
個人で簡単に出来ることを禁止してそれをやるときは国の管理下で行なえというのは
そうしないと税金を取りはぐれるからという阿漕な理由からである、あほらしい。

実はその酒税法は庵主のようなずぼらな呑み手にとっては都合がいいのである。
自分でお酒を造る必要がないからである。
自造酒を禁止している以上、酒造免許を取った人に対しては、責任をもって呑み手が、
すなわち庵主がうまいというお酒を造れと平気で要求することができるからである。
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# by munojiya | 2007-02-06 00:01 | Trackback | Comments(0)
絶対守れない法律
官僚というか、国のお役人は法律を作ることが飯のタネだから
どうでもいい法律やないほうがましな法律でもどんどん作ってしまう。
あってはならない法律さえ作ってしまうという特性を持っている。
そういう立場になるとそういうことやるようになるということである。

絶対守れない法律を作ることさえあるのである。
知性はあるのか、と疑いたくなるがそういう法律もできてしまうのである。
一番おかしいのは、正式な法律名は知らないがアメリカがまじめに作った禁酒法である。
そんなものを法律で決めて守れるわけがないのは考えるまでもないことである。

アメリカは若いのである、また宗教に毒されるとこうなるという好見本である。
もっとも法律を作れば世の中はそのとおりに変わるという思い込みは米国だけではない。
日本でも明らかに負ける戦争を遂行する法律をまじめに作っていたことがある。
法律を作ればそれで勝てると思い込んでいたからである。

もう一つ庵主には絶対守れない法律があって、それが著作権法である。
文化というのは、他人(ひと)のものは自分のものだからである。
庵主の頭の中には先代からの知識やセンスのいい他人のアイデアしか詰まっていない。
だからそれを引き渡してしまったら庵主にはなんにも残らなくなってしまうからである。
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# by munojiya | 2007-02-05 01:55 | Trackback | Comments(0)
誤報といっていいたとえ話
柳澤厚労相の出産する機械のたとえ話に対する糾弾は激しさを増してきた。
民主党出の副議長の政治資金問題と党首の不動産問題をもみ消すための
いちゃもんだということが見えているからそのレベルの低さに辟易するのである。
新聞などがその前後の話の流れをきちんと報道しないで煽るのは誤報といっていい。

話の流れを無視してその言葉の一部を取りだせばなんとでも難癖がつけられる。
マスコミがやっていることはヤクザの因縁付けと変わらないのである。
ヤクザにその手で絡まれたら普通の人は逃れられない。
ヤクザの非を指摘して、からまれた人を救ってやるのがマスコミの仕事だろうに。

それは話の前後の流れからいえば、実は一番わかりやすいたとえである。
てっとりばやく理解してもらうために卑猥な例を持ち出すのと似ている。
そういうたとえを使うとわかりやすいからである。
それが卑猥だからと非難するのは偽善である、人は卑猥から生れてきたのだから。

お酒のうまさを語ることは実はたとえを楽しむことなのである。
酒を呑んだときのうまさ加減は人それぞれだから伝えようがない。
だから、そのときのお酒のうまさをたとえ話でいえばこうだということを語るのである。
庵主はよくそれを女性にたとえるが、もし大臣だったら火達磨になるところである。
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# by munojiya | 2007-02-04 01:05 | Trackback | Comments(0)
天啓史観
天啓史観というのは、
神様なるものがいて、運命は全て神の意志によるものだという考え方である。
運命と書いて演歌では「さだめ」と読む。
演歌は天啓史観なのである、だから歌詞だけ読むと救いようがない歌が多い。

運命は人間が切り開くものだというのが陰謀論である、反天啓史観のことなのである。
この生命を生かすものはだれかが思いついた神などではなく人間だという考え方である。
天啓史観は宗教で食っている人たちにとっては都合のいい考え方である。
神なる言葉を小売して生きていけるから飯のタネだけにその理屈は精緻である。

その既得利権(いかがわしさ)を指摘すると陰謀論者として指弾されるというわけである。
どこの神様も仏様も人間の不幸を弄んでいるところをみると
あまり御利益はないということだけは確かなようである。
庵主は両者のいいとこ取りをして楽しんでいる日和見主義者ということになる。

酒造りは天啓史観である。
杜氏は、お酒は造るものじゃない、できるものだ、という。
自分はただいいお酒ができるように手助けしているだけなのだと。
人智を離れたところにうまいお酒を造る神様(偶然のこと)が、間違えなくあるからである。
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# by munojiya | 2007-02-03 00:08 | Trackback | Comments(0)
出産する機械
柳澤伯夫厚生労働大臣が女をさして出産する機械だと発言したことが問題になっている。
本人はたとえが悪かったと謝罪しているが本音が出たというのが大方の見方である。
陰謀論で解説とするとつぎのようになんでもうまくおさまるのである。
全世界を自分の支配下におこうと企んでいる邪悪な白人集団があるというのである。

その集団は家族制度を破壊して人間を家畜化して支配することを企んでいるという。
人間を家畜化することは動物を家畜化してきた白人には得意とするところだからである。
柳澤大臣は東大出の頭がいい人なので、そういう人がよくかぶれてしまう
その手の考え方に、すなわち共産主義的思考にアメリカで誑かされてきたのだろうという。

人間の家畜化には出産の管理と家族の解体で個人を孤立化させることが不可欠である。
家畜に家族は必要ないからアイデンティティを喪失させ支配しやすい人間を作るという。
この前の日本の戦争の本当の敵はそういう裏がある共産主義の謀略との戦いであって、
それは今でも続いているというのが庵主の物の見方である。

女には出産する機械としての価値があるとするならば、
酒呑み男はその集団にとってはなんの価値もない人間だということになる。
つまり酒呑みはそういう一団にとっては個人の自由を謳歌する反逆の徒なのである。
酒の味の違いがわかるうちはまだ人間をやっているというわけである。
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# by munojiya | 2007-02-02 01:25 | Trackback | Comments(0)
お酒の語り方
呑んでから語るは、並である。
語ってから呑むは、上である。
呑まずに語るは、雅である。
語らずに呑むのが貴である。

呑めばなくなってしまうお酒である。
同じ酒を二度と求めることはかなわない、語っても再会ができない世界なのである。
また同じものが呑めるお酒だとしたらそれは定番酒である。
定番酒は一定の水準の味を保っているかもしれないがそれ以上のものは期待できない。

庵主のような呑み方をする人たちが呑むお酒は次に同じものが呑めない酒なのである。
造り手にとっても、また呑み手にとってもお酒で一期一会の体験をしたいのである。
そういうお酒を神の一滴という。
うまいのか。

うまいとかどうだかという次元を超越しているお酒なのである。
普通のお酒が体にしみる酒なら、そういうお酒はそのうまさが心にしみてくる酒である。
悦楽なのである、だらか語らずにいられない。
もっとも、酒を語る人たちは、閑なのである。
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# by munojiya | 2007-02-01 01:09 | Trackback | Comments(0)
ネットで物を買うということ
いまはネットで物を買うのが流行っている。
なぜか。
便利だからである。
地元の酒屋では絶対手に入らないお酒がネットでなら簡単に買えるからである。

アマゾンで本を買うことを覚えるとこんな便利なものはないと思うようになる。
書籍の数は多いから欲しい本に限って近所の本屋にないのである。
本屋が扱う売れる本と自分が読みたい本とはなかなか重ならないからである。
近くに大型書店があっても店内で1冊の本を探すよりアマゾンで探した方が早い。

支払いはクレジットカード(借金札)でやる。
ポイントがたまって得するからである。
しかし、そういう便利というのは実はプライバシーをばらまいているようなものなのである。
買い物の履歴を知ればその人の好みなどの性向がわかるからである。

携帯のGPS機能と合わせたなら下手すると行動までわかることがある。
そういう観点からいうと現金払いというのはプライバシーを守る最高の手段なのである。
だから居酒屋ではいつもニコニコ現金払いなのである。
何処で何を呑もうと、酒を呑んでいる時ぐらいはプライバシーを保ちたいからである。
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# by munojiya | 2007-01-31 01:12 | Trackback | Comments(0)
呑み逃げができない理由
むかしは学校には各自が弁当を持っていったものだが、
いまは強制給食なのだという、かわいそうに貧乏もできない時代なのである。
その給食代を踏み倒すご家庭が少なくないという。
文科省がまとめたところによると全国で食い逃げされた給食費が年間22億円だという。

2005年度の給食費滞納者総数は全体の1%にあたる9万8993人だという。
滞納の児童・生徒がいる小中学校は、全体の43.6%にあたる1万3907校だという。
都道府県別で見ると(1)沖縄県6.3%(2)北海道2.4%(3)宮城県1.9%の順で多かった。
食い逃げの沖縄、貧乏の北海道、惨めな宮城といった順番である。

世の中には貧乏な人が1%ぐらいいることがわかる。
経済的なあるいは精神的なビンボー人が、である。
自動車事故による年間の死傷者数がだいたいわが国の人口の1%ぐらいだから
放っておくと食い逃げをする人も大体それぐらいいるというのは普通の現象なのだろう。

その点、酒代はいつもニコニコ現金払いが原則だから支払いは厳しいのである。
かつ酒代というのはそのときお金がある人が払うという心やさしい社会主義だから
酒を呑むことは経済的にも精神的にも余裕がある人でなければできないことなのである。
22億円ぐらい食わせてやればいいのである、国の無駄遣いをやめれば出せる金だから。
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# by munojiya | 2007-01-30 01:24 | Trackback | Comments(0)
ごしゅうしと打ったら御酒嗜と出る
庵主のワープロの辞書は
いつもお酒のことしか書いていないので
普通の文章を書く時に変換するとお酒の言葉が第一に出てきて苦笑することがある。
御宗旨と打とうとしたらキーを間違えたこともあって御酒嗜と出てきたのである。

宗教の欠点は人間にニオイがつくということである。
今煙草が世界的に排斥されている。
ニオイがくさいのが嫌われているのである、麻薬をやるともっとくさいのであるが。
煙草を吸っている分にはそれには気がつかないということである。

健康志向というのがある。
ここでも庵主の辞書は健康嗜好となってしまったが、
健康志向というのは、精神的不健康の最たるものなのである。
それはよくあることなのだが、手段の目的化という、本末転倒なのである。

宗旨の話に戻ると庵主にとってお酒を呑むということは神との交信なのである。
口に含んだお酒を通して天の声が聞こえてくるのである。
生きてるかいと聞かれるから、うん、うまいと応えるのである。
お酒が神の言葉と庵主の命をつないでくれるのである。
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# by munojiya | 2007-01-29 00:23 | Trackback | Comments(0)
庵主の御宗旨
耶蘇教にのめりこんでいる人からアンタはなにも考えていないと言われたことがある。
当たっていると思った。
庵主は、面倒くさいことを考えるのは苦手な方だからである。
べつに宗教にこらなくても十分生きていけるからでもある。

心臓の仕組みを多くの人は知らないがそれでも生きていけるのである。
中途半端に知識があるとかえって不安の素になることは少なくない。
天に順(したが)って素直に生きるというのが健康の秘訣である。
自分はなんのために生まれてきたのかなどと考えはじめると気を詰めるだけなのである。

そういうことが好きな人がいるが、それはまたその人が持って生れた性格なのだろう。
愛国心を声高に語り、天皇制を分析する人に魅力がないことは周知の通りである。
そういう人を見ると、庵主には、頭、いいですね、としかいいようがない。
それよりもお酒を語れる人の方が魅力的である。

なぜなら、そういう人は、あるいはお酒を語っている時は聞く人を縛らないからである。
商売宗教の欠陥は人の心を束縛するということである。
生きていることの真実(神)が一つならば数多の宗派があること自体がおかしいのである。
庵主はただ天に従って生きているから普段は商売宗教は必要がないのである。
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# by munojiya | 2007-01-28 00:34 | Trackback | Comments(0)