いよいよ酒いじめが始まった
喫煙者に対する禁煙の囲い込みは狂気の様相を呈してきた。
煙草嫌いが嫌煙権を掲げて喫煙を糾弾しているからである。
庵主は煙草の煙が好きでないのでその動きを実害がないから横目でながめているが、
こんどは飲酒運転の撲滅にからめてお酒が槍玉に上がってきたのである。

さいわい庵主は車を持っていないので実害がないから全然心配がないのだが、
飲酒運転で家族をひき殺された遺族にとっては
それは「未必の故意」の殺人にほかならないという主張は魅力的だと思う。
車は凶器という認識から民事賠償は自動車メーカーが半分負担すればいいのである。

それが銃とか自動車という殺人道具を造っているメーカーの肚の据え方というものだろう。
では包丁メーカーはどうするのか問われたらその線引きがむずかしいのだが。
ならば、お酒を造っているメーカーはどうなのか。
それがなければ絶対発生しない飲酒運転である、飲酒運転殺人なのである。

加えて車で呑みに来ている客に酒を提供した居酒屋の責任もまた逃れられないだろう。
飲酒運転で加害事故が起こったら四者は共同正犯として被害者に補償すればいい。
飲酒運転が減れば確実に自動車事故死者が減ることは明白な事実なのだから。
1日数十人の自動車事故死者は今の社会では折込済だと考えるならべつであるが。
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# by munojiya | 2006-09-24 00:02 | Trackback | Comments(0)
「極旨」「贅沢日和」
アサヒビールが10月から11月にかけて発売する新製品のうち、
一つが代用ビールで商品名が「極旨」(ごくうま)である。
もう一つの発泡酒は商品名が「贅沢日和」(ぜいたくびより)だという。
代用ビールが極旨というのならそれまではまずいビールを造っていたのだろうか。

「スーパードライ」はやっぱりまずいビールだったのかと知るのである。
代用ビールの方が旨いというのだから。
庵主は邪推が大好きだからそういうヒネタ解釈をするのである。
もっとも「極旨」の缶には小さい文字で「当社代用ビール比」とは書いてあるのだろうが。

ビール会社の認識では発泡酒が飲めることが「贅沢」になってしまったようなのである。
販売現場の実感ではビールが高くて買えないという人が増えたということなのだろう。
だから普段は代用ビールを飲んで、ときには贅沢して発泡酒を飲もうというのである。
先の戦中にアル添の日本酒が始まったようにビールもみじめな時代になったものである。

中にはエンジニアが苦労して麦芽を使わずに代用ビールを造ったというのに
すぐに税金を上げてその努力を無にするのは国の意地悪だと非難している人もいるが、
そんな下手物を造って欲しいと飲み手は頼んでいないと庵主はいいたい。
技術はまともなものを造るために使うのが本来なのである。
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# by munojiya | 2006-09-23 00:22 | Trackback | Comments(0)
アルコール依存症と酒依存症
アルコールはイコール酒ではない。
酒の主成分はアルコールであるが、
アルコールだけでは酒にならないのである。
飲料水がイコールH2Oでないのと同じである。

微量成分が溶け込んでいる飲用アルコールが酒である。
酒ではなくアルコールが飲みたいという人がいる。
そういう人はアルコール依存症と呼ばれる。
肉体がアルコールを要求するようになった人のことである。

庵主は酒は呑めるがアルコールは量を呑めない。
すぐ酔っぱらってしまうからである。
酒を呑むときもアルコールの副作用をおさえるために水をタップリ飲むのである。
そして小さいグラス(60MLの日本酒グラス)で2杯しか呑まないのである。

酒を口にしてから酔いが回るまでのわずかな間に味わう酒のうまさと
体に負担にならない程度のほろ酔いの持続を楽しんでいるのである。
で、アルコールが呑みたいわけではないがうまいお酒が呑みたくなるのである。
精神的に酒から離れられなくなったことを酒依存症というのである。
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# by munojiya | 2006-09-22 00:12 | Trackback | Comments(0)
香水は日本酒の敵だ
日本酒の敵はなにか。
三増酒は国が指導している酒なのにそれを造ることがなぜ悪いと居直る蔵元ではない。
いまはいい教科書があるのにそのとおりにお酒を造れずまずい酒を造る杜氏でもない。
現状に迎合して普通酒を楽しく呑みましょうと商売で甘言を弄する酒類評論家でもない。

日本酒の敵は香水である。
あの強烈なにおいである。
お酒の香りがわからなくなるからである。
食い物のまずい食い方は鼻をつまんで食うことである。

匂いがない食い物や酒は無味無臭の団子か刺激のある水にしか思えないからである。
食品は匂いなのである。
芋焼酎から芋の匂いを取ってしまったら呑む楽しみがなくなってしまう。
ただ酔っぱらうだけに呑むのなら薬を服んでるようなものである。

薬を服むときにそれを味わって服む人はいない。
お酒は薬ではないからその香りを楽しみながら心に感じて呑むものなのである。
そのお酒のうまさを、すなわち妙なる香りを殺してしまうのが香水である。
だらお酒を知っている男はコロンなどの香る水は使わないのである。
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# by munojiya | 2006-09-21 00:44 | Trackback | Comments(0)
飲酒運転の季節
飲酒運転に対してそれを諫めることが持て囃されて今それはブームとなっている。
これだけ新聞・ラジオ等が連日飲酒運転の非をならしている最中だというのに、
警察官とか教育長といった意地でもそれをやっちゃあいけない人たちが、
次から次に飲酒運転をして捕まっているのだから、ことは底抜けなのである。

突然そういう人達の飲酒運転が増えるわけがないからこれまで見逃されていたのである。
警察が飲酒運転の取り締まりを強化したら交通事故死がいっぺんに減ったことがある。
そのときは居酒屋の売上が大いに減ったということで取り締まりが恨みをかっていた。
多くの人が車に乗って酒を呑みに行っていたというわけである。

新聞に載っている読者の声は向かう所敵なしの状態だからことさら厳しいものがある。
煙草にはそのパッケージの半分近い面積を占める危険表示がなされているのだから、
酒瓶にもそれぐらいの大きな字で「飲酒運転危険表示」を書けというのがあった。
ついでに自動車にもそれぐらいの面積比で「危険表示」を書いてほしいものである。

酒はそれが自動車と一緒になると凶器と化してしまうのである。
酒は凶器による惨劇を引き起こす起爆剤なのである、誘引剤なのである。。
酒を呑んで車で事故を起こしたら、運転手・居酒屋・自動車メーカー・酒造メーカーで
なかよく弁償するようにすればいいのである。
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# by munojiya | 2006-09-20 00:59 | Trackback | Comments(0)
日本酒評論家ジョン・ゴントナー氏の至言
日本酒が日本人だけの酒でなくなってきた。
日本酒の輸出が伸びているという。
もっともワインだのウイスキーなど舶来の酒を日本人は存分に楽しんでいるから
好奇心のある人はどこの国にでもいるのだが。

ただしその輸出には裏がある。
輸出されているお酒というのは普通酒などという「地元に愛されてるお酒」ではなく
吟醸酒なのである。
吟醸酒と普通酒を同一に見て日本酒が注目されているということはできないのである。

外国人で日本酒のうまさにひかれた人は少なくない。
在日のアメリカ人呑ん兵衛のジョン・ゴントナー氏は日本酒の布教をされている人である。
この場合の呑ん兵衛は格好よくいえば日本酒評論家ということになる。
外国人でありながら日本酒評論家であるゴントナー氏の至言がこれである。

「日本人は日本酒を自国の宝物として誇りを持って欲しい。
身近すぎてその宝物としての大きな存在に気がついていないのが残念である」。
そりゃ、日本人の身の回りのお酒が吟醸酒なみの酒ならそのとおりだけれど
現実はそうではないということが日本人の庵主としてはちょっと悲しいのである。
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# by munojiya | 2006-09-19 00:54 | Trackback | Comments(2)
プラス食品、マイナス食品
食い物には食べない方がかえって健康のためになる物がある。
フグの胆とか牛乳などがそうであるが、そういうのをマイナス食品と呼ぼう。
体にとってなくてはならない滋養になる食い物はプラス食品である。
食い物は健康のために食うものだと庵主は言っているがそれは必ずしも正しくない。

体によくない食い物にも魅力があるからである。
健康食品というのは意味をなさない言葉だと庵主は主張した。
食品というのは健康のために食うものだから
そこにことさら健康などという形容詞を付けることは意味がないというわけである。

しかし、世の中には健康ではない食品がけっこう食生活を飾っているのである。
見掛けの楽しさを演出してくれる食い物もあるということである。
あるいは食わなくてもいいのにコマーシャル効果で口にしている食い物も少なくない。
いずれもマイナス食品であるが目の敵にするまでもないということである。

お酒がマイナス食品である。
でも、それはないと寂しいのである。
体に働きかける食品ではなくて
人の心に訴えかける食品はマイナス食品ではあってもそう簡単になくならないのである。
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# by munojiya | 2006-09-18 00:33 | Trackback | Comments(0)
日本酒の経験的法則
これは本で読んだ日本酒の法則である。
いろいろなパーティーに出席することが多い酒呑みが書いていた。
どんな法則かというと、
乾杯の酒にかかわる法則である。

普通のパーティーではビールで乾杯である。
それを日本酒でやる会があるという。
その時に使われた日本酒がうまいお酒だったときは
その後も他の酒に変えることなく日本酒を呑み続ける人が多いという。

ところがその酒がまずい酒だったときは
他の酒に変わることが多いという。
もう一つは庵主も経験している法則である。
どんな呑み会でもうまいお酒からなくなっていくということである。

それなりの美酒が並んでいる呑み会でも
その中のうまいお酒から瓶が空になるのである。
体は正直なのである。
庵主は呑まないで瓶の中のお酒の減り具合だけを見ているのである。
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# by munojiya | 2006-09-17 01:35 | Trackback | Comments(0)
うまい酒なら呑んでもいいが、まずい酒ならお断り
庵主は長らくお酒を呑んできたから
最近はだんだんお酒を呑むのが面倒くさくなってきたのである。
ただしくは自分の適量がやっと分かってきたということである。
その量が微量なのである。

せいぜい1合も呑めば幸せ気分になれることがわかったのである。
それ以上の摂取は無駄なのである。
勿体ないだけである。
勿体ないという日本人の心のブレーキがかかるのである。

酒量が少ないとなると
呑むお酒は吟味したくなるのである。
まずいお酒を呑んだ分にはその日の幸せを捨てるようなものだからである。
うまいお酒を少しだけ呑みたいのである。

だからどうでもいいお酒はただでも呑みたくない。
庵主が呑めるのはうまいお酒だけである。
まずい酒ならお断りなのである、が。
もっともそういうお酒がでてきても平気で口にするのは庵主の根が卑しいからである。
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# by munojiya | 2006-09-16 00:23 | Trackback | Comments(0)
そのうち酔わない酒を造れということになるかも
公務員が飲酒運転で3人の子供を死に追いやった(2006/8/25福岡市)いうことから
目下、公務員の飲酒運転に対する非難轟々である。
新聞は、今は飲酒運転をする公務員を叩けば読者が喜ぶと知ってここぞとばかりに
ことさら公務員の飲酒運転による自動車事故を報道して読者の歓心をかっている。

それなのにその後も公務員の飲酒運転による加害事故があとをたたないのである。
ということは公務員のみならず酒を飲んで運転している人が少なくないということである。
飲み屋の横に客用の駐車場があるのだからそれが当たり前だということがわかる。
田舎では都会と違って電車の便がないから車がなければ呑みにも行けないからである。

車に乗って呑みに行ってもいいが呑んだ帰りは本来なら運転代行に頼むものだが
発泡酒が安いという理由で売れるほどの不景気であるからそれができるわけがない。
飲酒運転で子供を殺された人の加害者に対する恨みは天地を引き裂くものがある。
では、その事故の責任はどこにあるのか、だれを呪うのが正しいのか。

事故を起こした運転手か、凶器を造った自動車メーカーか、酒を呑ませた居酒屋か、
それともそもそもの原因である酒に対してか。
運転手は酔っぱらっていて判断力がないのだから責任が問えないからである。
となると酔っぱらうような酒を造った酒メーカーが一番悪いということになるのである。
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# by munojiya | 2006-09-15 00:31 | Trackback | Comments(0)