こういう話で泣けるのだから困ってしまうのである。酒呑みに泣き上戸というのがあるが、酒を
呑まずに泣けるのだから安上がりなのか。
それは、齢を取ったご褒美なのかもしれないが。小さな心情に共感できるという事なのだから。
今日の「泣きネタ」はこれである。
『父は、無口で
あまり母の話は
してくれなかったが
酒の勢いで、たまに話してくれた時に、印象的だったのが、
「お母さんは、
お前の結婚式までは
せめて生きて
花嫁姿を見たかった…
と何度も言っていたよ。』(
典拠0:47)という話である。
運悪くして長生きする事ができなかった死者の憾みが伝わってくるからせつないのである。
「この仇をきっととってや」と言って死んでいった広島の原爆被災者の最期の言葉も同様である。
そのアメリカに「報いる」にはどうしたらいいものか、思案しているところなのある。
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思えば、「サプライズ」
とか「ハプニング」というのは、あのTV業界が作り出した糞言葉なの だろう。
そして、くだらない商品を売るための「営業用語」になっている「幸せ」もまたTVの仕業なの
だろう。
『幸子、絶対に、幸せになるんだよ!』(典拠3:09)。 で、その「幸せ」というのはどういう状態を言うのか、わかりますか。
日々の家事に追われて(←家事というのは限りない営為である)無為に時間が流れていく事を
言うのか。
あるいは、手に職を得て、仕事をこなすために、やってもやらなくても、どうでもいい労働に
いそしむ事なのか。仕事後の一杯の生ビールを美味しく飲むことができるから確かに幸せだが。
子育てをしっかりやる事なのか。子供が巣立った後には空虚感が襲ってきて、子育てのむなしさ
に耐えることが生きているという事の実感と言うのだろうか。
子供は家族であっても、たとえそれが我が子であったとしても、それを支配する事はできない
のである。また、時には感情を分かち合えないこともある。否、他人の感情は分かち合えるもの
ではないのである。テレビドラマはそれを強要するが、それは無理なのである。感情の共有と
いうのは、宗教団体の飯のタネなのである。虚飾の幸福である。気づいたらむなしくなるだけの。
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そして、そのビデオメッセージ(←日本語で書けないのが悔しいが)が「幸せ」の意味を教えて
くれるのである。
『そうしたら、私の分まで
そうなのだ。死者の望む「幸せ」とは、生き残った者に対する「呪い」だったのである。
早世する悔しさだったのである。あー、「幸せ」というのは縁起でもない。お祓いの塩を撒こう。
他人から「幸せ」を強要されたくないのである。神が言う「幸せ」から外れてはいけないという
呪いで何と多くの人が苦衷を舐めさせられたことか。「神」とは「迷惑」の同義語でもあるのだ。
『僕の母親は三才の時に亡くなる時に、人様に迷惑を掛けない用に[様に]正しい道を進んでね、
天国でいつも見守っているからと口にして息を引き取った事を今でも鮮明に記憶にあります。
母親の力で今も生きれてるとも心に思いますので、皆様も両親に感謝の気持ちを忘れないで
下さい』(同米)。3歳の時の記憶が残っているものなんだ。庵主には3歳の時の記憶はないが。
そのお母さんに(他人の御母堂だから、お母さまにと言う処か)、諭されなくても、日本人なら
その心遣いは教えられなくても知っているのではないか。庵主がそう思うのも、教育の成果なの
かもしれないが。神様から、あれするな、これするなと十戒を授けられなければ善悪が判らない
白人とは、日本人の気質はちょっと、いや、だいぶん違っているようである。
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『自分結婚しないと思ってたけど、
これ聴ける親になれるなら
幸せだと思うわ。
もう歌う側にはなれないからね。』(典拠米。以下も同)。この連は舞台が変わっています。
『まだ自分の子どもいないけど、卒業式でこんな立派に歌ってるところ見たら号泣する自信
ある』。
『こんなに男声が聴こえる旅立ちの日にはじめて聴いた。。。バランスが完璧で美しいです。』。
『この曲がそもそも神なのは当然なんだけど、伴奏の子凄くないか?
超絶技巧ができるのかは分からないけど、明らかに音の粒とか抑揚とか半端ないぞ。』(同米)。
『中学校の卒業式本番、どの練習よりも男子がしっかり歌ってて驚いたの思い出した。
式後に男子に聞いてみたら女子達が泣いてたから俺らがカバーしないとって思っただって。
それきいてまた泣いた。』。
『すてき。テンポを変えない指揮、聴かせる伴奏、一人一人が丁寧に歌う。
大抵の旅立ちの日には最後の盛り上がりのまえで男子が「たくしてええええー」とか調子乗って
ぐちゃぐちゃになるのに。元の歌のハモリ方が男子に遊べ!と言ってるような展開だから仕方
ないんだけどさ。それでスピード上がって盛り上がるのも一興。』。