小林幸子が美空ひばりを越えた日
墓石屋のCMソングみたいな「千の風になって」よりこっちの方がいいと庵主は思う。
仕掛け人は同じ人である。新井満〈あらい・まん〉である。
小林幸子が万葉言葉を歌いこなしていることでその歌の心は美空ひばりを越えたのである。
庵主はいつも不思議に思っているのである。
四十とか、五十とか、あるいは六十の齢〈よわい〉を数える女の人の歌が上手な人のことである。
その歳で歌が唄えるというのが不思議なのである。
男なら、人前で歌を唄うのは馬鹿と同義語である。
しかも、その歌が上手いとなったら、そこに経験則を見るのである。
歌の上手い男にろくな奴はいない。
しかし、歌が上手な女の人の歌は、本当にセクシー〈みだら〉だと思う。
庵主がこれが究極の歌だと思っているのがその歳の女の人が唄っているものである。
お酒にも、これが究極だと思うものがある。よくぞここまで極めたものだという感動である。
庵主がいう、うまいお酒とはまた別物の酒である。いつもその究極の酒ではあきてしまうし、
うまいというのは、気さくだという気分もあるから究極のお酒は必ずしもうまい酒ではない。
究極とは、それを越えてもそれ以上の感動は得られないだろうと思われるという意味である。