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091203 うまいは点、おいしいは面

庵主は、お酒を呑む時にはうまいかどうかを最高の価値として味わっているが、
しかし、それは所詮は点の楽しみでしかないのである。
大人〈たいじん〉はお酒を、うまいを含めた面で味わうのである。
庵主は、あえて小人〈しょうじん〉の域で楽しんでいるのである。うまいの一点である。

それが自分の器の大きさだと自覚しているからである。
大器と比べて、己の小ささを嘆いていても得るところがないからである。
嘆きからは発展性がないからである。萎縮するだけだからである。
自分の器に見合った最大の楽しみの中に充実感を求めたのである。

だから、庵主の世界は小さい世界であるが、その中では結構面白いのである。
お酒の面白さは、うまいかどうかはともかく、その味わいの中には
生命感と直結するものを感じるということにある。うまいお酒を味わうと無心になれる。
生きているという実感と、生かされているという感謝の念が味わえるのである。

生命も個人という一点ではなく、嫌いな人や、悪い奴を含めた面なのではないかと思う。
悪人とか、いやな奴というのは自分の裏面なのである。それを含めて自分なのである。
それらの全体が命の構造なのではないかと、最近、庵主は思うようになった。
お酒を時に面で味わうことを、庵主はおいしいといって、うまいと区別しているのである。
by munojiya | 2009-12-03 01:09 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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