10-02-21 番外篇 日本語が分からない庵主
直観的に使っているから、今使っている言葉が正しいものかどうか分からないことがある。
語るものがあればそれでも通じるからである。かりに誤字があっても通じるのである。
実は、この「むの字屋」の記事は一度アップしたものを後から手を加えていることが少なくない。
だから、その日の朝読んだ時と夜読んだ時では文章が変わっていることがある。
アップしてから読んでみると自分で書いたものなのに意味が分からないことがあるからである。
四行四連という定型文の制約の所為〈せい〉もあるが、いい加減に書いているということである。
そういう文章を手直ししているのである。書くと読むでは大違いなのである。
20日記事中、「中国と呼びならわされている」は、「呼びならされている」でもいいのか。
19日記事中、「(宗教を)信ずる」は「信じる」と書いても同じなのか。
あるいは「味わう」か、「味あう」か。直観法ではどっちが正しいのかわからないのである。
この指摘も庵主はわからない。それでもいいのじゃないのかと思うのである。
学者じゃないのだから、多少の間違いは俚言といって世の常なのである。
だから、そういう人が多数になれば、「発足〈はっそく〉」「重複〈じゅうふく〉」になるのである。
お酒もまた、論理的にうまいまずいを判断しているわけではない。お酒は学問じゃない。
直観的に体が感じているのである。うまいものはうまいでいいのである。理屈ではない。
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その指摘の部分を採録しておく。
『「・・・すべき」[にはその] 後ろに「です、だ」等を付けるか「すべし」としなければ
日本語ではありません。「・・・するべき」などは無教養の一言です。』
庵主は「するべきである」と書いて違和感を感じないのである。日本人じゃないのかも。