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2010-03-13 時局物 花粉症

それを庵主の持病と呼ぶべきか、それとも年中行事と呼んで粛々と対応するべきか。
花粉症である。時まさにその時分だから時局物である。政局ではなく、薬局ネタである。
今年(2010年)は、今のところ、3月12日が最悪日だった。
庵主の花粉症は、今年は3月3日に発症した。鼻がグズグスしたのでそれに気付いた。

その後、小康状態だったが、12日は朝から激しい症状に悩まされたのである。
朝起きたら、鼻が詰まっていた。
臭覚がマヒしている。
喉が腫れている。

目が痒い。
どんより頭痛がする。
よりによって、明晩は呑み会があるという前の日にである。
鼻がやられていると、せっかくのうまいお酒の味が判らないのである。

空手の師範の先生によると花粉症なんぞは認識の問題だからかかるのが間違っていると言うが、
その理屈は同義語反復である。観念論の極みは時に滑稽なので庵主は好きなのである。
アレルギーとは認識抜きに体が勝手に反応するものだから意志でどうにかなるものではない。
アル高が意志で直せるものなら、空手の道場は入門者が引きも切らずだろうが、空論である。

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水の上を歩く法というのがある。超学問的な柔軟な理屈である。庵主はそういうのが好きだ。
まず、水面に右足を乗せる。右足が水中に沈みそうになったら、瞬時に左足を水面に乗せて、
その左足を支えにして右足が沈む前に水から引き上げる。次には左足が沈む前に右足を水面に
乗せてそれを支えにして左足を上げる。それを繰り返すのだという。

庵主が観念論が好きな理由は不可能が可能になるその理屈が心から笑えるからである。
アレルギーは認識によって発症するものだから認識を違えなければ花粉症にならないという。
アレルギーというのは認識を介在しない生体反応のことだから認識で治せるものならアレルギー
とは言わないのである。認識で治せるものなら確かに花粉症はなくなるが、空論である。

3月12日は、ラジオの大沢悠里も放送中にもかかわらず花粉症で咳き込んだりしていたから
この日は庵主のみならず、花粉症患者の難儀日だったようである。
思えば庵主の花粉症アレルギーも長いのである。十年、いや二十年来か。
冬場になると喉が痛むようになったのが始まりである。当初は風邪だと思っていたのである。

それが毎年同じ時期になると同じような症状が出ることに気付いて、
やがて世間はその原因が花粉によるものだと「認識」するようになったのである。
認識するまでは花粉症なんかなかったのは当たり前である。認識を変えさえしなければ
花粉症にはならないのだと言われても、それって超学問的な思考じゃないのかなぁ。

by munojiya | 2010-03-13 00:05 | 時局物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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