2010-07-17 飲み会の定義
庵主には世間で言われていることを又聞きで書き写すしかないからである。
それを有用な情報の引用というか、他人の情報のパクリというか、こんな話知ってるかい
という情報の拡散だと言い張るかはその情報の受け手の判断による。
気に入っている歌を口ずさむとき、一々、作詩誰々、作曲誰それ、編曲なにがしと
唱えてから唄いはじめる馬鹿はいない。おっと、そんな律儀な人はまずいないのである。
情報もそれと同じで、その情報を作った人の名前や媒体を一々唱えてから語りだす馬鹿、
おっと律儀者は少ない。著作権が好きな人は呑めない人にお酒を強いる人と同じである。
呑めない人が、矢鱈と呑みたい人に関わっていても時間の無駄ということも似ている。
庵主なら、いいお酒はうまいと言うことはあっても、お酒が呑めない人に無理強いはしない。
で、飲み会の定義という話になって、それを定義しているのがこの人である。
結論がいい。
飲み会というのはお酒を飲む会ではなく、好きな仲間と酒を口実に集う楽しい会だという。
庵主も、お酒の量が呑めない体質なので、酒を飲む会は苦手である。
呑み代は奢りだといわれても困るのである。量が呑めないからお酒は苦痛でしかない。
若い人がつきあいが悪いのではなく、誘う方が無体を押しつけるのが嫌われているのである。