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2010-09-04 宗教家というのは人の不幸を願う人

宗教家というのも胡散臭い商売〈いきかた〉だと庵主は思うのである。
書家という人、いやそう呼ばれている人か、それも庵主は胡散臭いと思っている。
世の中には、こんなことを言っては失礼だが、変わった生き方をしている人がいる、
ということである。もっとも、そんなことは庵主にはどうでもいいことではあるが。

宗教家というのは、いい人なのだと思っている人がいたらそれは大間違いである。
宗教家というのは売春婦同様、人間の歴史では“サイコの商売”だとされている。
最古とサイコが似ているのは皮肉なのかもしれない。変態こそ人間の神髄だというわけだ。
その宗教家という商売がいまだになくならないということは何を意味しているか。

宗教家は人間の不幸を食い物にしている商売なのである。不幸を癒すといっても同じである。
だから、新興宗教の教祖様を見ると如何わしいと感じるのは正常な感覚である。
それがすばらしいと見える人は心の目が腐っているということなのである。信者がサイコ。
宗教家は不幸な人がいなくなったら商売がやっていけなくなるのである。

いつまでも食いつなぐためには、人の不幸を祈るしかない。不幸を再生産する技術である。
そうしないと自分の生き方が否定されてしまうからである。立つ瀬がなくなるからである。
お酒も古来から連綿とつづいていることでは宗教家や売春婦の伝統に劣らないのである。
ただ、宗教家と違って、人の心を清めることもあるだけにそれは善の伝統なのである。

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年間3万人を数えるわが国の自殺者の中に聖職者は何人ぐらいいるのだろうか。

by munojiya | 2010-09-04 00:48 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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