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2010-09-12 番外篇 暑苦しい風景

今でも、いるのである。
旧漢字(字体)原理主義者が。旧仮名遣いの信奉者なのかもしれない。
旧仮名遣いには新漢字(字体)は似合わないからである。着物に革靴の龍馬みたいになる。
おっと、旧仮名遣いというのは伝統的仮名遣いというべきか。正格仮名遣いとするべきか。

横浜では、この炎暑の夏でも子供に水筒を持参させないという話である。駄菓子本
『炎天下の運動を「教育」と強辯し、虐待との疑ひ(及び立證責任)を門前拂ひする
腦味噌筋肉なる教員は未だ健在であらうか。
小なりとは雖も人間の形状をした生き物を預る自覺を缺く、自稱「教育者」どもは。』(米欄)

表記は書き手の主義主張だから何でも構わないが、ご覧の通り、見た目が暑苦しいのである。
この夏の暑さのような中では、画数が多い漢字は見るだけでも暑苦しくなるのである。
真夏にオーバー(今は、防寒コートとでもいうのか)を着ている人を見る思いがする。
真夏の燗酒もいいぞという人もいるから、人の好き好きではあるが。夏は冷やでも人肌燗だ。

炎天下の運動[〈こうこうやきゅう〉]を「教育」と強弁し、虐待との疑い(及び立証責任)
を門前払いする脳味噌筋肉なる教員[〈しんぶんしゃ〉]は未だ健在であろうか。
小なりとは強[〈いえど〉]も人間の形状をした生き物を預[〈くいものにす〉]る自覚を
欠く、自称「教育者[〈こうやれん〉]」どもは。なお、[ ]内のルビは庵主注である。

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慣れなのだと思う。画数が少ないとスマートだとはいえ、中国の簡体字は間抜けに見える。
冒涜の涜を冒涜と書かれたら、庵主は違和感を感じるのである。出会いが涜だったから。
あれっ、庵主のパソコンは冒涜の涜の字が「サンズイに売」になっている。
「サンズイに賣」が書けないのである。OSがXPのせいなのかもしれない。

もっとも、庵主は「売買」には全然違和感を感じないのだから一貫性がないのである。
「売買」が許されるなら「売冗」(冗の部分は、正しくは、うかんむりに儿)でも
いいことになるが、そこまでされたら違和感を感じるのである。
仏教は佛教でなくてはいけない。仏教とあると、ついフランスかぶれと読んでしまう。

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「サンズイに賣」の字体も、士に買の部分が異なるものがある。
買を、目を横にしてその下に貝を書いたものと、四に貝としたものである。
庵主の「岩波国語辞典第六版」は、四に貝である。岩波は復讐の讐を「讎」と書く。
復讐を復讎と書かれたら庵主は復讐に思えないのである。結局慣れなのである。

by munojiya | 2010-09-12 00:13 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)

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