2011-06-08 溢杯、丹杯、散杯、死杯
五月の連休が過ぎると庵主の花粉症はいつの間にか終わるというのが恒例である。
今年もそのとおりになったのである。年々歳々、花は三月に開き、花粉症は新緑の時に去る。
それで、全快祝いで久しぶりにお酒を呑んだものだからすっかり酔っぱらってしまった。
うまいお酒だったものだから、三杯のつもりが四杯になってしまったのである。
うまそうに呑んでいたものだろうか、
お店がそのあとにさらにうまいお酒を御馳走してくれたのである。
すでに酔いがまわっていた庵主の“堅固な意志”も一緒に酔っぱらっているのである。
出る酒は拒まず状態になっていた。お酒がうますぎたのである。
「お酒はおいしく日に三杯まで」という鉄の意志は、今時の言葉で言えばメルトダウン。
意志溶融である。
その日の最初の一杯はうまいのである。お酒を口にできることが有り難い。勿体ない。
生きている有り難さを感じるのである。生きていく希望が溢れ出るのである。溢杯である。
味わって呑んでいるとそのうち酔いが出てくる。庵主は顔が赤くなる。丹色である。丹杯。
本当は二杯で十分なのにお酒のうまさはそれを許さないのである。鉄の意志も散るので散杯。
まだ呑めると思ったのが間違いだったのである。酔いがまわる。死〈ぶったおれる〉杯である。