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2011-07-10 いろいろな理屈があるのである

大震災は天災であり、人びとは誰を恨むこともできず天を仰ぐしかない。
しかし原発事故について被災者は、東電をうらみ、国のエネルギー政策を批判する。
しかし、一国のエネルギー政策の責任は国が負うべきものだから、なにか不都合があったとき
には、まず国がその責めを負わなければならない。

補償金は「まず東電が払え、足りなければそのときは国が面倒を見る」というのは、順序が逆
だろう。
拠所(石岡荘十氏)。“御用学者”の理屈である。
氏が御用をたまわったかどうかということではなく、真実は可変であるということである。
一つの事実は見る人の都合によってどうとでも言えるということである。

お酒を気違い水と呼ぶ人がいる一方でそれを百薬の長と愛でる人もいるのである。
じゃ、どっちが本当なのかというと、どっちも一つの真実なのである。
考えようでどっちにでもなるということである。
どっちの考え方にたった方が自分にとって得かということである。

庵主はそういう現実をさして、世の中の仕組みは紙の裏表のようなものだというのである。
片面の真実には、必ず裏面の真実がくっついているという物の見方である。
石岡氏の考え方は庵主の考えるところとは逆の発想であるが、
そういう考え方もできるという見方を教えてくれたのである。なるほど。

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「事故に遭う事は天災〈うんめい〉であり、人々は誰を恨むこともできず天を仰ぐしかない。
しかし交通事故について被害者は、運転者を恨み、危険な車を許容する交通政策を批判する。
しかし、一国の交通政策の責任は国が負うべきものだから、なにか不都合があったときには、
まず国がその責めを負わなければならない。」としたら加害者の手先と思われるだけだろう。

補償金は「まず東電が払え、足りなければそのときは国が面倒を見る」というのは、順序が
逆だろう
』という方が、順序が逆じゃないのか。まず、直接の運転責任者である加害者が補償
する。加害者の補償が十分でなく被害者の生活に支障が生じた時には生活保護等の公的補助で
生活の保障をするのが妥当だと庵主には思われるのだが。運転者の責任を問うのが第一だろう。

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運転とは、運を天に任せることじゃないだろうから。

by munojiya | 2011-07-10 00:12 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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