2011-08-07 番外篇 チューリップは美しい
日本人は、感想と事実を混同した文章を平気で書くからいけないという。
「黄色いチューリップが咲いている」というのは事実である。
しかし、「チューリップは美しい」というのは意見である。
意見というのは、その人だけの受け止め方だからそうは思わない人もいるということである。
世の中にはチューリップを醜悪な形と感じる人もいるからである。
よって、それは客観的事実ではないということである。
信者にとっては有り難い宗派もそうでない人には嫌悪の対象でしかないことが多いのである。
現に共に神聖なキリスト教とイスラム教はいつも吾が正しいと言って喧嘩しているのである。
宗教は主観なのである。それを「崇高」と書いたら嘘になるということである。
「敬虔な」信者というのも意見であって客観的事実ではない。宗教は嘘の固まりなのである。
おっと美しい嘘の固まりと書き直しておこう。美しい嘘というのは勿論庵主の意見である。
意見と事実を混同させた文章からは真実が見えてこないということである。
「むの字屋」は、広告という意見の押しつけに対して、事実でそれを検証しているのである。
ただし、その事実とは庵主の好みという一つの意見を通して判断したものである。
「うまい」というのは一つの意見であって、お酒の真実は呑み手の心の中にあるのである。