2011-09-02 商品もどんどん劣化している
美術品を見る楽しみは、いい物を見る楽しみである。
職人が技を極めた工芸品だったり、画家が天才を欲しい儘にした絵画である。
自分の非才を実感する楽しみである。いい物を愛でる事で己の非才を認めることである。
すぐれた美術品の前では自分の器の大きさを素直に認めることができるのである。

それらの美しい物の前にあっては彼我の差が有り過ぎて見栄や虚勢は吹っ飛んでしまうから。
人は謙虚になれた時が一番心が落ち着くのである。
他人と張り合っているうちは気を休めて眠ることができない。
スポーツマンの寿命が短いのは、そういう無理を続けているからなのである。

商品を買う楽しみは、実用上もあるが、多くは、商品という名の夢を買っているのである。
だから、商品の第一条件は見掛けが美しいということである。
アイドルがブス・醜男であってはならない理由である。それでは最初から売れない。
そして、品質の良さを満たしてくれるものであるということである。

その品質がどんどん劣化しているという。いいものが手に入らなくっているのである。 ●魚拓
ユニクロを馬鹿にする人はその品質の限界が見えているのだろう。夢のない商品なのだと。
美術品の話に戻って、それらは見るもの手にするものである。が、唯一呑める物がある。
うまいお酒である。その感興は美術品と変わらないのでそれを呑める工芸品と呼ぶ人もいる。

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青雲和尚も値切らないという。それをやれば品質の悪いものしか手に入らなくなるからである。
一升瓶千円でお酒を造れと要求したら、うまいお酒が呑めなくなるのと同じである。
東京人に比べて大阪人が格下に見られるのは平気で値切るその振る舞いにもあるだろう。
求めるは、もっと安いもの(不幸)を作れではなく、もっといいもの(幸福)を作れなのである。

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庵主が青雲和尚と呼んでいる人はお坊さんではない。
商売宗教とは距離を置いて眺めている人である。いな、その商魂を指弾しているのである。
宗教嫌いの人を和尚と呼ぶのは嫌味に聞こえるかもしれないが、庵主にその気持はない。
なんでも知っている智慧の固まりという意味で、敬称として和尚と呼んでいるのである。

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by munojiya | 2011-09-02 00:29 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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