2011-09-10 「旧約聖書」の「旧約」は差別語だって
「旧約」という言葉が差別語だということを知っているだろうか。
「床屋」とか「ポッポ屋」という言葉も差別語だというのである。
庵主にはいずれも親しみを込めて言う言葉なのである。
差別の感情は全然ないのである。そもそも差別語なんか誰が決めているのか、である。

要するに、差別語なんていうのは、宗教なのである。
当人がそう思えばそれだという独善的な価値観のことをいうのである。
他人が見れば、それは鰯の尻尾にしか見えないのである。
それを神様だと思うことはできないのである。

「キチガイ」を差別語だという人の方がキチガイなのである。
「盲」は差別語だというキチガイがいて、そのキチガイの宗教によると
「目のご不自由な方」と呼べという。それは御宗旨〈どくぜん〉なのである。
キリスト教徒がイスラム教徒に御宗旨を強要したら殺し合いになるだろう。

現に今でも「御宗旨」を掲げて殺し合いをやっているのである。
御宗旨を強要するということはそういうことになるということなのである。
「お酒はうまいものに限る」という宗旨を強要しているのが当「むの字屋」である。
うまいお酒が呑めるなら、もうどうなってもいいやという覚悟はあるのである。

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庵主は「旧約聖書」を「きゅうあくせいしょ」と読んでいるが、それは差別語としてである。
「旧約聖書」は人殺しを使嗾〈しそう〉している本であるという評価による。
平気で人を殺せるようになる本だからである。悪書だろう。案外人口調節目的の本なのかも。
「なぜ人を殺してはいけないのか」「旧悪聖書の教えに惑わされない正しい生き方だから」

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by munojiya | 2011-09-10 00:16 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
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