2011-09-14 偉い人
日本人は、対等という概念がないという。気付かなかったがたしかにそうである。
二人の日本人がいたら、その優劣関係が判らないとお互いに不安になるというのである。
英語なら I とYOUしかないのに、日本語には一人称と二人称がやたらと多いのである。
それを日本語の豊かさだという人もいる。

それは反面、人間を上下関係とか長幼関係とかでしか捉えられないということである。
お互いに対等な関係を結べないということである。対等とは神の前における概念なのかも。
日本人はどっちかが偉くないと人間関係が落ち着かないのである。
当然利口な人は偉くない立場を選ぶから偉いとされる人はそうでない人達ということになる。

偉いとされる人が、本当に自分は偉いと思っている場合がある。
そして、本当に訳知り顔で偉そうな話をする人がいるのである。
が、しかし、そういう偉い人もまた自分の食い物を自分では作っていないのである。
他人が作ってくれた食べ物をそれが当然であるかのように口にして憚らない。

つまりそういう偉い人の偉いところは観念的な偉さなのである。中身は軽いということである。
しょせん、その程度の頭の中で繰り広げられ正義でしかない。底は浅いのである。
お酒の広告がいう「うまい」は観念的なうまさである。実態がないから評価は軽いのである。
しかし、お酒の本当のうまさは自分の体が納得するうまさなのである。信頼に足るのである。

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日本語には時制がないという指摘もあった。
それでも実用上は全然支障がないから問題はないのだが。
時制はないかもしれないが、辞世の句はあるから、
辞世の区切りだけはちゃんとつけているのである。

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by munojiya | 2011-09-14 00:38 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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