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2011-10-23 日曜日のくつろぎ篇 氷のう

氷嚢をあえて「氷のう」と書いたのは、勿論嫌味である。いや、話の前振りなのである。
庵主は原則として混ぜ書きをしないからである。
なぜかというと、「氷のう」とか「建ぺい率」とか「ら致」と書かれたら、
「のう」「ぺい」「ら」の字が思い出せないからである。辞書を引くのが面倒なだけなのだが。

ブログやHPでリンク先を書いておきながら、「http://」の最初の「h」をわざわざ
省略して書く人がいる。「ttp://」といった案配である。
それをコピーして、いちいち頭に「h」を打ち加えなければならない。面倒なのである。
きちんと「h」を付けておけと、庵主はいつも頭にきているのである。

それよりも、最初からリンクを張っておけばいいのである。
コメント欄などで機能的にリンクが張れないのならしょうがないけれど。
本題は胴元〈どうもと〉の話である。
胴元といっても知る人は少ないだろう。

横浜で、「芸人三昧〈げいにんざんまい〉」というヤクザをやっている漢〈おとこ〉がいる。
ヤクザといっても893番ではない。無理に漢字を当てれば役座である。
人の役にたつ座長である。英語にすればボランティアということになるのかもしれない。
その胴元と庵主の出会いがたまたまお酒が縁だったという話である。

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「芸人三昧」は具体的には横浜で芸人の公演をやっている団体〈グループ〉である。
団体といっても主要メンバーは二人だけ。一人が胴元、もう一人の知恵袋を頭と呼んでいる。
企画、宣伝、広告、公演、ポスター制作、同印刷、チラシ配り、会場設定、苦情処理等を
胴元がおもに一人でやっている。一騎当千の強者が胴元である。ただし所謂博打はやらない。

胴元は、お酒を呑むときはうまいと定評のあるお酒しか呑まない。
もちろんいいお酒しか呑まない。うまいお酒をよく知っているのである。
公演が終わったあとの打ち上げに参加するといいお酒を呑ませてくれる。
ただし、打ち上げの時はうまいお酒というよりも別の意味でのいいお酒であるが。

その胴元の文体が最近は謹厳実直石橋路線から、漫談爆笑蒟蒻路線に変わってきたのである。
永六輔とか矢崎泰久とか、後期高齢者には言うことがどこまで本当なのか判らない人がいる。
そして、半分嘘の話の方が絶対おもしろいのである。その二人の公演をやって以来、胴元は
二賢老の影響を受けて少しずつ「真実〈おわらい〉」に目覚めたようである。自虐ネタである。

永六輔の一ネタは、いまは「パーキンソン病患者」である。自虐で人を笑わせる。
「パー・僅遜」などとパーで切ってはいけないのである。素直に「パー菌尊」である。
当人自体、なんだかよく分からない病気なのだという。永六輔の話を聞いていると、
それって「ほらふき病」のことなのではないかと思ってしまうが、そうでもないらしい。

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胴元日記」である。
胴元のご母堂が怪我をされて患部を冷やすために氷のうが必要になったという。
それで氷のうを買いに行ったが、薬局を回っても今はなかなか売っていないのだという。
今は、アイスノンとかで冷やすのではなかったっけ。

薄型TVが当たり前の時代に、ブラウン管TVを買いに行くようなものなのである。
薬局も氷のうを使う目的を聞いて、テレビなら、最近の薄型TVを売ればいいものを、
一緒になって売ってませんと答えていたらしい。庵主はこのあたりから可笑しくなってくる。
さいわい、氷のうを売っている薬局があったという。

やっと氷のうを買ってきた胴元にご母堂が言ったという。以下セリフは日記による。
「やっと見つけて、氷のうを買って来たよ。氷のうっていう言葉自体が死語だよ」
「ご苦労さん。で、氷のうスタンドは?」
「え」

「馬鹿じゃない。氷のうだけでどうやって吊るすのよ? スタンドを買ってこないと」
「スタンドも必要だって言わないから」
「気が効かないね。そばを注文して、蕎麦だけ出てこないでしょう。汁も出てくるでしょう。
氷のうだけあって、どうするのよ」

「もう店は開いていないから、明日、会社帰りに捜して買ってくるよ」
「じゃ、その間、簡易的に氷のうを吊るせる方法を考えてよ」
「分かったよ」
そこで、“母が一言”いったと原文にはある。

「どうして、こんなに気が効かない子供なのかね。
誰が産んで、どうやって育てたのかね」
俺の心の中で、「お前だよ」と言う。
自虐落ちである。

しかも、この会話を、庵主はてっきり、胴元と床に臥せっているご母堂との会話だと思ったが、
よく読むと、氷嚢を買いにいった妹さんとの会話だったようである。それを聞いていたご母堂が
一言、というのが流れのようである。
「妹との会話を聞いていた母が一言」とあれば状況が判るのに、突然妹さんが出てきて戸惑う。

胴元は、長年、中国で仕事をしていたものだから、ちょっと日本語が心許ないのである。
その独特の日本語は、胴元が全部自分で作っている公演の新聞で読むことができる。
ただしそこで使われている公演の舞台写真はプロが撮ったものだから一味違うのである。
紙面にはお客さんの感想が満載だが、胴元との至福の出会いが伝わってくるのである。

by munojiya | 2011-10-23 00:19 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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