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2011-12-31 愛されない人

愛してくれる人がいる人は幸い〈さいわい〉である。
と書くと、なんとなく「聖書」の直訳みたいでしらじらしいが、
同じことであっても、それを「よかったね」と書いたらしっくりするかもしれない。
しかし、世の中には、愛してくれる人がいない人もいるのである。

先の大津波で自分以外一家全滅した人のように、一挙に愛を奪われてしまった人たちである。
例示の場合の悲しみは相手の愛の余韻で、愛は失ったものの愛に飢えているわけではないが。
愛に飢えている人も中にはいるのである。そういう「不幸」な人にも愛してくれる人はいる。
神が愛してくれるのである。ただ、それが一神教の神様だから迷惑なのだが。より不幸になる。

庵主に言わせると愛されたくない人の筆頭がその神様である。
そんな人から愛されたらおぞましいが、そのおぞましさを押しつけてくるから迷惑なのである。
そんなに人を愛したいなら、どうぞ自分の世界の中だけで愛してくださいということである。
一々庵主に告白することなく、勝手に愛してくれる分には庵主はなにも困らないからである。

もしそれがその人の心の安らぎになるというのなら、喜んで愛されてあげる。拒む理由はない。
人の世は、需要があれば供給されるものである。神様、売春婦、うまいお酒。自堕落の三傑。
そのうまいお酒を供給させるために、庵主は人々にもっとうまいお酒を呑めと布教している。
堕落に誘〈いざな〉う邪教が庵主の酒旨〈しゅうし〉の核心なのである。堕落はうまいから。
by munojiya | 2011-12-31 00:16 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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