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2012-02-01 「私たち置いていかれるの?」

17年前、会に集まる人はパソコンを習いたいのではなく、“世の中から置いていかれる
のがイヤ”というかたたちでした。「ワケのわからないカタカナ語が飛び交っているけど、
私たち置いていかれているの? 大丈夫?」という焦りがありましたね(大川さん)
典拠
17年前に64歳だった大川さんの述懐である。

老人のためのパソコン教室での話である。
「ワケのわからないカタカナ語」というのがパソコン界の特徴である。魅力である。
だから面白いのである。だから馬鹿馬鹿しいのである。
一度コースを回ったら完全にマスターできるものならゴルフをやる人〈ばか〉はいないだろう。

引用文をよく読んだら「置いていかれているの」だった。「置いていかれるの」でなかった。
微妙にニュアンスが異なるのである。←これは三重畳語か。「馬から落馬して落ちた」である。
前者なら捨てられた、後者なら捨てられそうである。だったら走って追いつけよである。
ワケの解らないカタカナ語というのは、知らなくてもいい場合が多い。

パストリゼーションという言葉を知らなくても「火入れ」という言葉があるのである。
もっとも「火入れ」の意味が解らなかったら、カタカナ語と大して変わらないけれど。
もっと言えば、パソコンを知らなくても全然問題ないのである。
庵主はケータイを持っていないが生活には全然困らないのである。お酒がないと困るけれど。

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世の中は、一つ知ると、その十倍の解らない事柄が出てくるようになっている。
知れば知るほど、自分の無知を思い知らされるだけなのである。解らない事が広がるのだ。
情報と称して、他人の悪口を知れば知るほど自分の卑小〈むなし〉さが膨らむだけなのである。
お酒はそんな憂いを綺麗さっぱり流してくれる。水に流すとは、実は酒で流す事なのである。

by munojiya | 2012-02-01 00:09 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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