2012-05-12 甲斐性とは女に貢ぐこと
持っているわけで、あとは、男が貢ぐだけの甲斐性あるかどうか、だけが勝負になるわけだ。
まぁ、どうしようもないですね。それが「社会」の仕組みというモノだから』(駄菓子本)。
そうか、男が結婚してカミサンを貰うのは甲斐性を示すことなのか。
女は、男から貢がれる権利を持って生まれてくるのだという。
たしかに、女の体を持っているだけで、十分男をたぶらかすことができるのである。
その体を磨くかどうかは当人の気持次第だけれど。
では、その権利はだれが担保しているのか、である。
基本的人権は権利であるという人がいるが、それは誰が担保しているのか。
現行の日本国憲法は平和を担保しているというが、それは誰が担保しているのか、である。
担保しているのは他人なのである。他人のお世話になって生きるというのが権利の思想である。
言葉を換えればあなたまかせの生き方をいうのである。
権利を主張しているうちは自分は変わらない。
甲斐性とは、他人に頼ることではなく、自分が動くことである。
権利とは受動であり、甲斐性とは能動のことである。待っていても利はやってこないのである。
お酒がそうである。待っていてもうまいお酒はやってこない。呑みに行けである。
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義務とは、権利の反対語だから、実は能動のことなのである。
義務とは押しつけられるものではなく、積極的に行動することをいうのである。
義務教育の義務とは、教育される義務ではなく、子供を教育することを要請されているのだ。
黙っていたら子供はしつけられないということである。義務とは行動することなのである。