2012-11-15 「TVを見る人、田舎臭い」
田舎くせ。』(新駄菓子本29番)。(欄外に道草あり)
TVを見る事が田舎臭いというよりも、TVに縛られている事がそうだということなのだろう。
今はTVに自分を合わせるのではなく、自分の都合に合わせて見るようになったからである。
そして、少なからずの人が、TVを見ないという選択肢を選ぶようになったのである。
思えば、20世紀の後半はTVの時代だったのである。TVが猛威を揮っていたのである。
それで結構楽しめたが、それによって失ったものも小さくないはずである。
物事の功罪も半々になるものだから、功が大きければ、罪も大きいのである。
お酒の功罪も半々なのである。
功は、それを「百薬の長」という。
罪は、それを「気違い水」と呼ぶ。
どちらも同じ物なのである。接し方の違いで結果が異なるというわけである。要は使い様。
そして、TVを見るのをやめるという世間の接し方とは異なる道を選ぶ人がいるように、
功罪半々のお酒の功の部分だけを掬〈すく〉い取る呑み方をする人がいるのである。
庵主のことである。罪の部分まで呑まないということなのである。過ぎては猶、である。
お酒の功の部分を「うまい」と呼ぶ。だから、庵主の場合はお酒は「うまい」ものなのである。
-----
バカに付ける薬。
21世紀になって、次に終わるものはどうやらカーナビみたいである。
『日本のPCメーカー、携帯メーカーが大敗北してたの見ても
アグラをかいて何も学ばなかったんだろうな
スマホの方がよっぽど情報の更新も早く安価なのに
20万も30万もするカーナビがこれからも売れると思ってる
バカに付ける薬はないね』(65番)。
バカに付ける薬(前例)はあるのである。ただその使い方が分からないだけなのである。
-----
(欄外)
これは「TV」と「田舎」のどっちを馬鹿にしているだろう。
実は「車」の部分を馬鹿にしているのだったりして。
車に、TVがうつるカーナビを付けて走るダサさを嗤っているのかもしれない。
