2012-11-18 とは思ったものの
庵主が好きな誤植探しもそれである。
他人の誤植を見つけて楽しんでいる分には全然差し支えないが、
それをわざわざ当人に教えて上げると覿面〈てきめん〉に嫌われること必定である。
当人が折角気分よく文章を書いているというのに、そんな重箱の隅をつつくような
どうでもいいことはしないでほしいという気持はよく分かるのである。
文章は細部の間違いにとらわれることなく、その大意を捉えて読むものだというのである。
枝葉にとらわれず幹を見よ、である。枝葉を払ったら幹が貧弱な程に細かったりして。
でも、大意を読めというのは、文章の表現能力が貧弱だということじゃないのか。
試合に勝つため(大意のため)には何をしても(細部の間違いはどうでも)いいという韓国人
並みの発想じゃないのか。見るからに美しくないのである。勝てば不正もよしとするのか。
『韓国と日本が1対18である分野がある。 それはノーベル賞受賞者排出数字だ。
平和賞を除いて、科学分野だけを見れば、まったく0対17である。』(典拠1番)。
ノーベル賞なんて、ウンコみたいなものだというのが筆者の主張なのかもしれない。(脚注)
受賞者〈うんこ〉を「排出」しちゃうのだから。誤植は往々にして笑い話のネタなのである。
酔っぱらえれば(大意のため)造りにこだわらないという発想に庵主は与しないのである。
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とは思ったものの、というのは先にこう思ったからである。
そういう振る舞いは、傍から見ているとたしかに品がいいとは思えないと感じたからである。
それで「他人の誤植を指摘するのはやめよう」と思ったのである。心したのである。
人の振り見て吾が振り直せ。とはいえ、他人の誤植はやっぱり笑えるから楽しいのである。
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(脚注)
韓国語から日本語に自動翻訳したために生じた誤植だろうと思われる。
『排出・・・
輩出だろ』(27番)。
『あいつら日本のアニメや、お菓子が自国発症のものだとまじで思ってるからな。
大統領自体嘘つきだし、最悪の民族だな。』(56番)。「発症」は誤植。
『またノーベル症が発症かあ
すっかり秋だねえ・・・』(62番)。「ノーベル症」は駄洒落。
