2012-11-21 有名な宝石とは不幸の塊のことである
縁起を担ぐともいう。
「科学的」には迷信以外のなにものでもないのだろうが、
しかし、人の心はそれを忌み嫌うのである。
庵主は科学的ではないので、呪いとか縁起を信じるのである。
その方が楽しいからである。
科学的な方が楽しい時はそっちに靡〈なび〉くのである。
新興の科学(心理学)産業ともいえるCM業界も、その実、縁起をかつぐ業界だという。
その非科学的精神によって、今、無辜の吉瀬美智子がピンチだというのである。
造っている人達が非科学的なので、そのCMも何の根拠もない非科学的代物だったのである。
日本人が造れば日本的な物になるように、造り手の精神が商品に乗り移るのである。
乗り移るというのもまた非科学的な発想であるが、庵主はそういうのが好きなのである。
うまいお酒とは、杜氏の気合が乗り移っているお酒だと思っているからである。
それが科学的だろうと、非科学的だろうとどっちでもいいのである。
庵主の心をいやしてくれるものならば。
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博物館に収まるような有名な宝石がある。
そういう宝石は実は不幸を呼ぶ宝石〈いし〉だということである。
たしかに美しく、人の心を惑わすかもしれないが、持主が変わる石は呪いがこもっている。
持主が持ち続けることができない石とは不幸が乗り移った石だということなのである。
そんなものを入手することは縁起でもない。不幸を自ら呼び寄せているようなものである。
よって他人の不幸を見せ物として博物館が預かるということになる。怖いもの見たさである。
親の因果が子に報うという。不幸な宝石を持つとその不幸が新しい持主にももたらされるのだ。
科学ではそういう因果を遺伝子というらしいが、もっともらしくその実例が朝鮮人だという。