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2012-11-27 日本の大女優

文化的とは、他人の知恵なり仕事を自分の物のように利用できる相〈そう〉をいう。
逆に、自分が得た知識を他人が利用しても文句はいえないということである。
相身互いということである。
相田みつを風にいえば、「所詮天から貰った物じゃないか」というわけである。

例えば、日本人が使っている日本語を個人が一から立ち上げるとなったらまず不可能だろう。
先人が培ってきた日本語を只で引き継ぐから広大な文化を自分の物として利用できるのだ。
便利だからということで、「太平洋」という言葉を使うたびに福沢諭吉に、「芸術」という
言葉を使うたびに西周に、著作権料を払うか、である。そんな律儀な人はいないのである。

さて「大女優」である。その大の意味は「お歳を召した」という意味なのだろうと思われる。
文字ではないが写真でそれを伝えるということも文化である。共通心情の共有を文化という。
だから、心情を共有しない日本人と朝鮮人とはいくら顔つきが似ていても異文化なのである。
水と油はいくら振っても混じらないように、その両者も混和することは不可能なのである。

写真という「文化」も庵主はこうして只で利用させて貰うのである。
その仕事に感謝はするが、それに対して対価を払うつもりはない。
相身互いだということがわかっているからである。その文化は庵主が担保しているからである。
別の例で言えば、お酒は呑み手が評価して初めてその価値が定まるものだということである。

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「水谷八重子」の写真だけは、その顔を見てその名前が出てこなかった。
寸前まで「眠狂四郎女地獄」で水谷良重を見ていたから二つの顔が繋がらなかったのである。
森光子や吉永小百合などの数葉は反則技だろう。酒がそうであるように若過ぎてつまらない。
しかし、知らない女の人の名前をこんなに知っているなんて、文化の本質は虚構なのである。

いや、半径5メール内の生活が真実であり、文化とはそれ以外の領域にあるものだとすれば、
虚構であっても不思議ではないのである。それは自分では確認できない世界だからである。
他人の言葉や経験を援用するしかない世界である。実感のない世界ということである。
しかし、お酒の世界は実感の世界である。呑まないと成立しない真実の世界なのである。

by munojiya | 2012-11-27 00:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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