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2013-03-11 もう一つのニュース

民主主義における政党とは何か。
世に問題が起こった時に、みんなで解決策を考えましょうと頭取りするものではないという。
広く会議を興して万機公論に決するのは、天皇陛下が最終責任をとるという体制の下での話で
あり、民主主義下の政党政治においては、政党は会議を行うためのものではないというのだ。

では、政党とは何をするものなのか。問題の解決案を提示して、それが主権者に認められたら
それを政策として実行するものだ、というのである。
主権者とは政党から提示された解決案を選択するものなのである。選ぶ人なのである。
物事を考えるのが政党の仕事なのである。解決策を考えられない政党は馬鹿と同義である。

これからみんなで解決策を考えましょうというのでは、政党の意味がないということである。
会社なら、上司にこれはどうやったらいいですかと聞いてくる社員は馬鹿な社員だという。
問題の解決策をいくつか考えてきて、その中からこれを実行したいがいかがですかと聞いて
くる社員が使える社員なのだという。有権者は上司としての見識がなければならないのだ。

新聞社は、世に起こっている事件の中から、価値あるものを取り上げることが仕事である。
読者に、ニュースを作ってくださいという新聞はないのである。読者はそれを選ぶ人である。
例えば、庵主はこのニュースを選ぶのである。気になるのである。気に入ったのである。
庵主は呑み手である。だから造り手が造ったお酒の中から気に入るお酒を選ぶ人なのである。

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政党の意義については、小室直樹が本でそう書いていたと読んだのであるが、なにぶん庵主の
読解力は、大衆映画のストーリーすら理解できないという程度なので、本当にそういうことを
言っていたものかは保証するものではない。それを納得するかどうかは読み手の判断である。
会社ではのくだりもどこかのビジネス書で読んだことの受け売りである。

そこに書かれていることが妥当なことなのかどうかという判断は読み手がすることである。
庵主が注目したリンク先のニュースも、それが事実なのかどうかは読み手が判断しなければ
ならない。それは実は広い世間では一般的なことで、たまたま今度の大地震で表面に露呈した
だけのことかもしれないのである。それが特異なのか一般なのか、読み手の判断力が問われる。

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間違った解決策を選ぶ人を愚昧〈ばか〉と、正しい解決策を選ぶ人を賢明〈りこう〉という。
有権者とは賢愚を問われるということなのである。
判断力のある人がやることであって、一般大衆には無理なのである。
それを愚衆に押しつける民主主義というのは、根幹が間違っているということある。

その制度を喧伝するのは底意があってのことなのだろう。
民主主義では好みの選択はあっても、責任をとる人がいないという制度なのである。
船頭多くして舟山に登りかねない制度なのである。
みんなが運転手の観光バスでは、車内でお酒を呑んでいることができないのである。

by munojiya | 2013-03-11 00:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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