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2013-05-21 新聞の地位

出世欲というのは、高い地位を得たいとか、もっと金持ちになりたいといった欲望ではなく、
本当はもっといい情報(ニュース)が手に入る地位に昇りたいという願望なのではないか。
高い地位とか金というのは、それを手にした当人はそれで幸せなのだろうが、庵主から見たら
所詮他人の幸福であって、なんらうらやむものではないのである。

高い地位というのは、それを維持するための挨拶ができなければならない。
そんなものを覚える知力は、庵主にはないのである。
大阪では、ローカルスターの箸下徹、おっと橋下徹大坂市長が、その地位にふさわしい挨拶が
できなくて笑い物になっているのである。その姿を見るのはつらい。

お金持ちも庵主には到底無理である。
100万円を越えるもので欲しいものがあったら何でも買ってやるといわれても、
そんなものは思い浮かばないのである。庵主の想像力の限界を越えているからである。
しかし、いい情報が入ってくる地位というのは、庵主にとっても魅力的な誘惑である。

地べたにはいつくばっているような生活をしていると、いい情報がはいってこない。
いま庵主のところに入っている新聞は「聖教新聞」だが、勿論恵贈品であるが、そういう新聞
の読者の地位はというと、欄外に引用した通りなのである。
そんな庵主にうまいお酒の情報が入ってくるのは地位が高いのではなく酒徳によるのである。

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「新かながわ」は日本共産党神奈川県委員会の機関紙
ソースが偏り過ぎ。
これがOKなら、聖教新聞もソースになる。
』(新駄菓子本86番)。
ソースとしては使えない新聞があるというのである。脅威になっても権威にならない新聞が。

by munojiya | 2013-05-21 07:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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