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2013-08-11 日曜日のくつろぎ篇 ジャズでも聴こうか

昔、歌は、TVが新曲を教えてくれたものである。
つまり、どんどん、向こうの方からやってきたのである。押しつけられたと言うべきか。
今は、TVでも歌番組は流行らないと聞く。時代が変わったのである。
商業歌謡曲も、ばらまきではなく、消費者を限定して売るようになったみたいである。

特定の世代とか、特定の層に対象を絞った歌作りをしているから、その対象から外れた人には
新曲が伝わってこないのである。当然、歌を買ってくれる世代に向けて商品は作られるから、
庵主のように新曲をどこで買うことができるのかさえ分からない層にはそれが伝わってくる
ことはないのである。だから、今どんな歌が流行っているのか分からないのである。

知らなくても全然差し支えないというである。第一最近の歌は聞いても歌詞が聞き取れない。
聞き取れたらもっと悲劇である。中身が何にもないからである。
「お口汚し」という謙遜言葉があるが、そういう歌は謙遜抜きに「お耳汚し」なのである。
聞いたら疲れるのである。若い人には、そのリズム感、吠え声が気持ちいいのだろうが。

これが今評判になっている歌だと、たまたまネットで知ったのである。聴いてみる
ジャズだという。最初、英語で唄っているのかと思ったのである。よく聴いたら日本語だった。
みんな無理して唄っているのだなと苦笑したのである。いや最近の歌手は器用だとしておこう。
本当に不味いお酒を「お口汚〈よご〉し」とはいわない。それは「お口穢〈けが〉し」か。

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KYというのは、「空気読めない」という意味だという。「韓国野郎」ではない。
日本人には、韓国人の「恨」とか「火病」が理解できないように、韓国人には、日本人の
「空気感覚」を理解できないはずである。いずれも国民病だからである。
時代が変わるというのは、その空気が変わることである。その変化を進歩と見る人もいる。

変化の多くは細分化である。それまで気にしなかった細部にこだわるようになることである。
庵主はそんな面倒くさいことを劣化と呼んでいるのである。
雑誌は、昔は総合雑誌が、世の中の全ての分野の出来事を教えてくれたのである。
今、雑誌は細分化して、スポーツ誌ですら競技別に細分化され、狭い世界観を語っている。

その結果、スポーツの全貌が見えなくなってしまったのである。それじゃ片端の哲学だ。
人間を語るのに、その目だけとか、唇だけとかを語るようなものである。人が見えなくなる。
「分割して統治せよ」とはよくいったものだ。全体像を見えなくするということである。
新聞も、その方向に変わりつつあるということである。その空気には抗えないのである。

「日経」でさえ、渡辺淳一のエロ小説のためだけに読む人がいるようになっているのだ。
経済よりエロがいいという人が増えているということである。空気が変わったのである。
音楽は、新聞に先駆けてすでに変わっているのである。新聞は遅れているともいえるのだ。
酸味だけが、甘味だけがうまいお酒よりも、全体を味わったときにうまいお酒の方がいい。

by munojiya | 2013-08-11 00:03 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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