2013-12-11 手品の種明かし
一つには、手品を見てせっかく不思議がっている人を往々にしてがっかりさせるからである。
二つには、手品で生活している人の営業妨害になるからである。
三つに、裏をあれこれ詮索することは品がないからである。
故・昭和天皇は、三番目の点では最高の手品見〈てじなみ〉だったという。
アダチ龍光が手品を演じた時に、種を問うことなく、その不思議を楽しんでいられたという。
天皇陛下から種を訊かれたら、答えないわけにはいかないだろうが、そんな野暮な振る舞いは
されなかったというのである。
マスコミも、これまではその種が守られてきた業界だった。
しかし、最近は、その種が次々に明かされるようになったのである。
たとえばこういう記事がそれである。
ネットは平気でマスコミの裏側を暴露してしまうのである。品がないのである。
商売物の演目〈ねた〉を次から次にばらされるようなものである。
折角気持ちよく手品〈きじ〉に騙されていた観客〈どくしゃ〉が白けてしまうじゃないか。
折角うまいと思って呑んでいるお酒〈てじな〉の種がアル添だなどとバラされた分には、
夢が壊れてしまうのである。酔いが醒めるどころか、悪酔いしちゃうのである。