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2013-12-29 習う歴史と学ぶ歴史

「歴史」という言葉がある。
それを事実を知ることだと思ってはいけない。
あえて言えば、それは「騙される事」だといえるからである。
「歴史学」というのは、「事実」を語るものではない。

昨日まではそれが正しいと思われていたまことしやかな「事実」が、
今日は簡単に覆るのである。それまでの事実は間違っていたのだと。(欄外に一例を掲載)
すなわち歴史学はその当時の人々の認識がどうであるかを語る学問なのである。
「学問」だから、マニア(酔狂)の楽しみである。素面の人には縁のない世界なのである。

歴史とはその人の心の拠り所のことである。
そうあってほしいという希望の物語である。事実は二の次なのである。
そこに事実を持ち込むと話がややこしくなる。(その実例も欄外に掲載事)
学校で習う歴史は、その国の建前である。建前だから教えられるのである。

本当のことは教えないのが教育である。教育とは、受ける方からいうと騙される事である。
世の中の「常識」を教わる事だと言い換えておく。騙され方を学ぶことなのである。
正直な日本の教育者は現代史を教えない。本当のことを知られては困るからである。
教わる歴史に対して、学ぶ歴史というのは、自分にとって心地よい心の拠り所の事である。

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欄外
稲作は朝鮮半島から日本に渡ってきたとされていたが、稲のDNAを調べたら、朝鮮半島の稲
のDNAとわが国の稲とは異質なので、その流れは考えられないということが判ったという。
昨日までの天動説が、今日からは地動説に変わったようなものである。

大韓民国の歴史は嘘(非事実)に立脚しているから、事実と照らし合わせると辻褄が合わなく
なるので、それは見ないことにしているいう。事実はなかったことになっているのである。
それで困るかというと何も困らないからである。その方が当人には元気が出るからである。
人は歴史という衣服が変わってもその生活〈なかみ〉は何も変わらないということである。

by munojiya | 2013-12-29 00:02 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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