2014-01-11 映画「楽隊のうさぎ」
映画の背景はこの人の説明がくわしい。その評判を読むと、異常にいいのである。
『僕的には非常に微笑ましく観られた映画でしたよ』(典拠)といった感じなのである。
観た感想を語る言葉が一様にやさしいのである。温かいのである。
本来宣伝であるはずの公式サイトに書かれている感想の言葉も広告文句の域を超えている。
音楽というのは、というか、演奏というのはそんなに人の心を誑〈たぶら〉かすものなのか。
いや、魅力的なものなのか。いやいや、映画を作るということが関係者を誑かせるのである。
この映画をジャンル分けでいえば、「中学吹奏楽映画」ということになるのか。
身も蓋もない言葉でいえば、「浜松映画」である。浜松はブラジル人も多いらしいが、ヤマハ、
カワイと楽器屋も多いから適所である。中学生の演奏が聴けるというので、見に行った。
といっても、庵の近所では、モーニングショーでしかやっていない、朝一回の上映である。
しかも、上映期間が9日までだというので、慌てて見に行ったのである。
朝っぱらから映画を見るというのは、朝っぱらからお酒を呑むような気恥ずかしさがあったが。
舞台に使われた校舎は採光のいい設計で廊下が明るい。気持ちいい。設計者に拍手である。
『特に、部室の窓辺から射し込む木漏れ日はまるで水彩画のように美しい。』(典拠)。
夜、外で撮った場面も異常に明るく写っているのである。カメラの進化に感心したものである。
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原作が中沢けいだと聞いて、「はだしのゲン」の中沢啓治と勘違いしてしまった。
それなら観るまでもないので捨てようとしたが、よく見たら中沢けいだった。
ティンパニーがあんなに表情のある音が出せる楽器だとは思わなかった。元は取れた。
一年かけて撮ったという事で出演者の中学生の顔が一年で変わっていくのが見られる。
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『泣ける
ある意味泣けました! この作品を一般向けにお金を取って公開できる勇気に泣けました!
正直、自主上映映画レベルではないでしょうか……』(典拠)。
「泣ける」という評価は、庵主にとっては意味を問わずそれだけで褒め言葉なのである。
『聴いてるとそのころのことが蘇って、涙涙でございます。
泣くようなシーンじゃないのに、こんなに泣いちゃって恥ずかし、と思っていたら、
他にも鼻をすすって泣いている人、多数!
きっとみんな、ブラスバンドやってた人たちなのかなー。』(典拠)。ツボに嵌まるとアブない。
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『職業吹奏楽屋としては、見ておかなくてはいけない作品。』(典拠)。
そういう映画があるのである。商品として見たときの解説としてはこれを押さえておこう。
『とってもほのぼのとした練習シーンも、楽器が大きく映るたびにノイズになってしまった
よ。』(同前)。そういえば、音楽映画なのに、楽音がちょっと弱かったかもしれないな。
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『部活映画というよりも、真っすぐな音楽映画。楽曲だけでなく、校内の喧騒や風などの屋外
のざわめきが常に聞こえていて、音の存在感がある。セリフ以外の音(劇伴ではなくノイズ的
なもの)を消していない映画は、世界の広がりが感じられていい。本作は舞台が学校という
閉じ気味な場が主なので、外の音が聞こえることで抜け感が出たと思う。』(典拠)。成る程。
耳がいい人にはちゃんと聞こえているということである。
同じ人の『部活中にクリームパン食べてる女子がいるあたり最高だ。』という指摘もいい。
庵主もそのシーンを見て、突然パンを食べたくなったものである。映画の中のそのパンを、だ。
庵主は、観たあとに何か食べたくなったり、うまいお酒を呑みたくなる映画が好きである。
この映画は、学校という仕組の中で居場所を見つけることができた少年の物語だという。
『また、克久の両親を鈴木砂羽と井浦新が演じている。父親が克久に、部活にかわいい女子は
いるのか、好きな子はいるのかと聞くと、克久が「それ部活と関係ないじゃん」と答える
やりとりに、親子の部活に対する認識の差異(年齢も)が出ていてちょっとおかしい。
この父子、多分そんなに似た者同士ではないのだろうが、それでも仲が悪いというわけでも
ないし、父親が息子のことをわかろうとしているのがいい(約束をちゃんと守るし!)。』
その時の克久の答が「(かわいい女子が)いないといったら殺されるよ」といったものだった
と思う。賢答。劇中の子供同様、大人も、みんな気を遣って映画の感想を書いているのか。