2014-02-08 「朝鮮人」さん、ご愁傷様
人気というのはこういう風に作られるのだろう。
庵主が昨日まで全然知らなかった人の名前が突然「マスコミ」界で連呼されて、それがブーム
となって庵主の所にまで伝わってくるのだ。興味のない人まで巻き込むのがブームである。
株屋は、嘘の理由でもいいから、株価を上げたり下げたりして、売買手数料を稼ぐのが商売、
「マスコミ」は、嘘でもいいから話題をでっち上げて読者の歓心を引くのが商売なのである。
NHKがその詐欺師を称揚する番組を作ったという事から、今度のブームの主人公もそれなの
だろうということで、その詐欺師は早速朝鮮人にされてしまったのである。
現在のNHKは、日本韓流協会だから、そうに決まっているというわけである。
韓国寄りの番組をせっせと作っているから、今度の主人公もきっとそれだという邪推である。
名前が、佐村河内〈さむらごうち〉だという。
四文字苗字は、支那風に創氏改名する以前の、かつての朝鮮人の名前を連想させるのである。
『けど朝鮮人なら何をやっても不思議じゃないってところはあるよな』(典拠20番)。
『被爆者を売りにしてるのなんか左巻きかチョンしかいないから』(17番)。
日本では、悪人はみんな朝鮮人にされてしまうのである。ご愁傷様と言うしかないのである。
お酒では、毒を入れない限りどんな酷い酒を造ってもそう言われる事はないのは幸いである。
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『被曝もインチキだろ
原爆で更地になった広島に
住み着いたチョンコだと思う』(36番)。もう、けちょんけちょんである(典拠75番)。
「バカチョン」が駄目なら、「けちょんけちょん」も使っちゃいけないのかな。
『NHKでこの人を大々的に密着取材で取り上げていたよな
この手の体に障害があって社会的にメッセージうんぬん
とかいうのはうさんくさくて殆ど見ないっていう人はダマされないから大丈夫だけど……
絆とか癒やしとかに(以下、省略。みなまで書かない)』(典拠37番)。
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『NHKスペシャルで
「過去に作曲した譜面をすべて捨てた」とか言ってたのは、
作曲してなくて初めから譜面なかったんだろうな。ものは言いよう
とはこのこと。』(典拠27番)。NHKさんには、お気を確かに、としか言いようがない。
薩摩守〈さつまのかみ〉は、キセル乗車のこと。
これからは、
河内守〈こうちのかみ〉は、詐欺師ということでいいのかな。
それとも、本当は聞こえるのに聞こえない振りをする聾〈さくし〉の代名詞か。
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その人のことを語ることは、まさにブームである。なんか奇怪しくないかと怪訝に思うほど。
庵主がいつも愛読している、この人も、この人もそれなのである。
おい、おい、である。これって、「マスコミ」の都知事選つぶしなのかな。
ロシアのソチで冬季五輪が始まったが、ブームも参加することに意義あるのか。
歌なんか、誰が作ったっていいのである。どうでもいいのである。
歌を唄うとき、一々策士はだれ、おっと作詞はだれそれ、作曲はだれ、編曲はだれかなどと
確認してから唄う馬鹿はいないからである。だれが作った歌であろうと、曲であろうと
それを口ずさむ人には全然関係ないことだからである。と、受け売り派の庵主は思う。
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『NHK「受信料払ってください」
佐村河内「聞こえません」
NHK「受信料払ってください」
佐村河内「聞こえません」
NHK「あなたの曲いいですね?」
佐村河内 「ええ、ありがとうございます」』(典拠176番)。
『サモンプロモーション
所属
フジコ・ヘミング
金聖響
ソン・ヨルム
佐村河内守[悪のりの嘘だろうが本名は『佐村河内守(本名 朴信守)』(同前317)]
個人筆頭株主 池田大作』(同前102番)。落ちは、落ち着く所に落ち着いたのである。
『これ[NHKが製作したその番組]メチャクチャ笑える 永久保存した
嫌なことあったときこれ見れば全て吹っ飛びそうだ』(同前226番)。
人に喜びを与えることが芸術家の使命だから、たしかに芸術家の片鱗はあるのであはあるが。
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以下、爆笑篇
『■五木寛之(作家)
ヒロシマは、過去の歴史ではない。二度と過ちをくり返さないと誓った私たちは、いま現在、
ふたたびの悲劇をくり返している[さすがに文学者。騙されることを予見している]
佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、
未来への予感をはらんだ交響曲である
これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ
■野本由紀夫 (玉川大学教授、音楽学者)
HIROSHIMAについて
「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い」
「これは相当に命を削って生み出された音楽」
「初めてこの曲を聴いたときに私は素直に感動した。そして非常に重い曲だと思った」
「言葉で言い表す事自体が非常に薄っぺらになってしまう」
「1000年ぐらい前の音楽から現代に至るまでの音楽史上の様々な作品を知り尽くして
いないと書けない作品」
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」』(同前240番)。
さらに追い打ちは続く。
『■許光俊(慶応大学教授、音楽評論家)
もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か?
耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。
それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。
あるいは……。
もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいと
いうなら、私の答は決まっている。
佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。 』(同前)
確かに、「もっとも“悲劇的”な交響曲」になっちゃったのだからその評価は間違ってない。
それに加担した関係者の「苦渋に満ちた」交響曲になってしまったのだから。
音楽評論家の耳となるとちゃんとその筋を見抜いてしまうのである。という事でいいのかな。
耳のいい作曲家はこう断言するのである。『■三枝成彰(作曲家)
「作曲者はベートーベン並みの才能の持ち主」』(同前)。
佐村河内守とではなく、ちゃんと、作曲者は、と言っているのである。ぬかりはないのだ。
いうなれば、みんな純米酒とアル添酒の違いが判らないことを知って庵主は安心するのである。