お酒を造る人
その発想が男女差別だというような因縁をつけられて
テレビから消えたことがあった。
お酒に関してはだれもが「あなた造る人、私呑む人」である。
造る人は呑む人より低い地位にあるという発想があるなら、
酒造りも酒造会社がもっぱらにするということも解放しなくてはいけなくなる。
物をつくることは差別だということなのだから。
差別はいけないのである。
今の酒造りは
造り手に対する呑み手の優位を肯定する社会構造だから
造り手の奴隷状況を解消するために酒造りを人民に解放せよという
因縁をつけてくれる人はいないものか。
差別を助長する社会通念を醸成するCMはいけないのである。
したがってお酒のCMはやめろということになる。
それはいいことである。
たばこのパッケージの規制はきびしい。
見るとパッケージの3分の1はたばこの有害性の表示になっている。
お酒のCMもそのぐらいのスペースを使って
アルコール常飲の有害性を表示せよという主張が出てこないともかぎらない。
それを思うと今のお酒の広告の状況は天国なのである。
呑み過ぎて体を壊した人だけがバカを見ることになっている。
飲酒は自己責任なのである。
家庭内暴力がなかなか表面化しないように
アルコール依存症の家族を抱えた家庭の崩壊もなかなか表に出てこない。
家族に酒癖の悪いのがいるために苦労している家庭は少なくないはずである。
家族の問題は家族の責任とはいってもそうはいかないこともある。
親の面倒は子供が見るのが当然だという考えも老齢化の世では無理が出るように
惚け老人や重度の要介護者をその家族だけで支えよと言う方が間違っている。
もっとも自動車事故でなんと年間百万人(国民の約1%)の死傷者が出ているのに、
それを見越した上でそれを見て見ない振りをして社会が成り立っている程だから
家庭内のその程度の負担は軽いということか。
それともそういう家族は前世のたたりとでもいうのだろうか。
自動車事故に対して自動車メーカーがその救済処置をとっているということを
聞いたことがないように
酒メーカーもアルコール依存症や飲酒に起因する家庭崩壊に対して
なんらかの救済処置をとっているということを聞いたことがない。
もうけは自分だけのもの、
その被害は社会負担という構造になっているのである。
自動車事故の死傷者などは病院が患者を確保するための既得権となっている
のではないかとさえ思えるほどである。
信憑性はないが、
酒税の上がりよりも
酒を飲んで治療にかかる費用の方がその数倍も多いという説もある。
だから飲酒を勧めることは社会的損失の拡大であるというわけである。
その伝でいくと、
うまいお酒があるから日本人ならぜひそれを味わってみてほしいて書いている
この「むの字屋」などは
戦犯といわれてもおかしくない主張だということになる。
ようするに酒を飲むということは自己責任なのである。
だから庵主はいうのである。
お酒は呑まない方がいいですよ、と。
うまいから、である。