2014-05-12 上品、下品
多くの方は、それを口に出して読むことなく、目で読んでいることだろうから、その読み方は
気にもかけていないだろうが。
いわんとすることは、目で読んだ通りなのである。上品と下品の話である。
この記事名は「じょうぼん、けぼん」と読むのである。
今朝(2014年5月11日)ののラジオで美輪明宏に教えてもらったのである。
「上品」はまた「ゆうひん」とも読む。「優品」のことである。意味はその通りである。
下品の恰好の例があったのである。それもまた今日出合ったである。その逆が上品である。
『安い回転寿司はシャリが少ないね。ネタも薄いし。どれだけ食っても満足感がないので、
そら、10皿くらい余裕だろう。20貫です。廻らない寿司屋で一人前が14貫くらいなので、
それだけ小さいわけです。』(典拠)。
そういうさりげなく小さいシャリは下品の入口といっていいだろう。小賢しいのである。
『ちょっと高めの回転寿司に行くと、今度はやたらネタが大きくて下品です。ああいうの、
昔は「女郎寿司」と呼んだ。「うわぁ、シャリが見えないくらいネタが大きいですね」とか、
TVの馬鹿レポーターがナニも知らずにはしゃいでいるけど、それって、下品な証拠です』
一合と称していながら7勺ぐらいしか入っていない徳利もまたそれに近いのである。
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『回転寿司でも大体3000円越えの店行っちゃうと
100円のところにはもう行けなくなるわ、単純にマズイ』(同米欄)。
3000円というのが、回転寿司の上手と下手の境目らしい。うまいとマズイの境目である。
この「上手」と「下手」は「じょうて」、「げて」と読む。いい物とそうでない物である。
小振りのシャリを下品〈けぼん〉としか見れないのは浅はかな物の見方なのだという。
『寿司が小さいのは無論コストもあるが、こういう寿司屋は今や安手の家族サービス場だから
子供でもたくさん食べられるようにしてるんだろね、お菓子も充実してるし。』(同米欄)。
物事には二面性があるということである。人は悲しいかな片面の正義しか語れないのである。