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2014-05-26 こんな綺麗な映像が残っていたなんて

最近のテレビはどんどん画質がよくなっているらしい。
らしい、と書いたのは、その実物を見たことがないからである。
最新のは4Kテレビなのだという。高精細テレビという意味なのだろうと思われる。
ただ、庵主の語感では、3Kに引きずられて高精細というイメージではないのである。

3Kは、危険、きたない、給料安いだったか。休暇が少ないという説もあった。
4Kテレビの4番目のKとは何か。きっと「くだらない」だろうと邪推してしまうのである。
テレビがハイビジョン化して、女優さんが泣いているという。
皺がしっかり写ってしまうからだという。

そういうのは技術の進歩とはいえるが、果たして望ましい事なのかどうかは別れる所である。
映画に関してはそんなに精細な画質はいらないのである。かえって害になる。
映画に必要なのは、女優がいい雰囲気に写る画質なのである。過剰品質は必要ない。
こういう画質の映像が残っていた。松田聖子である。1980年頃の録画である。

その画質で、庵主は十分だと思う。それ以上に精細な画質は綺麗なのかもしれないが、
庵主はそこまで望まない。これぐらいの画質がちょうどいい。
お酒もそうである。うまいと感じる一定の線を超えている味わいならそれで十分なのである。
うますぎるお酒は、時には呑んでみるのも楽しいが、普段はそこまで必要ないのである。

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その映像を見ていると、初テレビ出演からあっという間に美しくなっていくのが見て取れる。
女は、見られると美しくなるというけれど、案外それは真実なのかもしれない。
松田聖子の歌はうまいのである。うまい、へたというより一定の味わいがある。
これを聞いたら、練習して歌を上手に唄おうというのは邪道に思えてくるのである。

歌の上手な人は、何を唄ってもそれなりの味わいがあるということである。
それは練習して表現できるようになるものではないのではないか、と思うのである。
楽譜を正確に唄うことなら、練習して上手にはなるだろうが、それだけで歌の雰囲気を出せる
ようになるかというと、それは無理なのではないか、ということである。

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松田聖子の当時の歌を聞いて、「僕もその時代に生まれたかった」と言った子がいたという話
は前に書いたことがある。その時代〈とき〉にしか味わえない生の熱狂に対する羨望である。
その頃は、映画も公開時に見逃したら二度と見る事はできなかった。必死に映画を見たのだ。
いまなら、後からゆっくり、いつでもその映画を見直すことができるようになったのである。

松田聖子の当時の歌も、歌だけならユウツベで、今まさにそれを聴くことができるのだ。
TV番組が録画装置の普及で、それを見るのに、放送時間に縛られることがなくなったのは
進歩と言っていいのだろう。当時の熱狂を、時代を超越して楽しめるようになったのである。
それで幸せになったのかというと、ただ煩わしくなっただけではあるが。懐古趣味は老化現象。

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おまけ
TVの画質はこれで十分だと思う。
あまり鮮明な画質だと見ていて疲れるのである。
お勧めはその1:06からのタップダンスである。

by munojiya | 2014-05-26 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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