2014-09-12 宇佐美里香
庵主は、講道館柔道が「雑巾ダンス」と呼ばれているのを聞いたことがあるが、口の悪い人は
それを「空手ダンス」と呼びそうな気がしたのである。皮肉ではなくて、美しいからである。
『やっぱり複数人だと単なる踊りにしか見えないわ』(同米68)。
『芸者カラテだよしょせん。カラテの新体操競技か?』(同米38)。
『ただ、演武?ってわざとらしい動きなんだなぁと思ってしまいました。』(同米3)
『宇佐美里香さんの演武はもっとシビレルよ』(同米111)。
宇佐美里香の映像がこれである。何のために空手をやっているのと思ってはいけない。
持って生まれた才能を一商品の宣伝なんかに使うというのはみっともないという見方もできる
が、人間にはそういう才能があるということを世に示すということでは、それを否定する事も
ないのである。物の見方が広がる。その才能でお金が稼げるという裏付けにもなるからである。
それで言ったら、商業音楽の作曲家なんか、コマーシャル音楽を作って食っているのである。
折角の才能をそんなものに使うなんて、いかにも馬鹿馬鹿しい生き方ではあるが、その才能を
只で聴かせてもらえる庵主にとっては、その手のCMソングもありがたいのである。
お酒なら、只でうまいお酒を呑ませてくれる奇特な人はいないというのに、である。
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言葉の遣い方という話である。
『中国拳法をテコンドーと比べるのは流石に失礼だろ
北派外家は(内家もか)試合ができない暗殺拳揃いじゃね?』(同米44)。
『「比べる」じゃなかった、「並べる」』(同米45)。格の違いを比べるのは無意味だから。
大吟醸酒と普通酒を比べてもしょうがないということである。
二つを並べて、こちらの方が格が上だとは言えるが、どっちがいいかとは一概には言えない
からである。大吟醸の方がいいに決まっているのだが、大吟醸が必ずしも普通酒よりうまいと
は限らないという事なのである。比べると騙されるが、並べると見えてくる物があるのである。