2014-09-29 純米酒とアル添酒との区別の仕方
呑んでみて初めてその違いに気がつくのである。
いや、気がつく場合もあるのである。
多くの場合はその違いが判らない筈である。
だからといって両者を同じものとはしないのである。
『こんな凶悪犯罪の根が断てないのは、人権弁護士らが凶悪犯の弁護に回るからである。
裁判官も如何にも人道に配慮しているかのごとき擬態を演じるから、いつまでもこの手の
犯罪はなくならないのだ。
このまま偽善が横行すれば、まだまだか弱い?女性や子供らの命が失われ続けるだろう。犯人
であると特定された時点で「公開処刑」すべきだと私は思っている。いわゆる見せしめである。
47才にもなってまっとうな人生が送れない男に、悔悛の機会はあるまい。』(典拠)。
真っ当なものとそうでないものを峻別しないのは間違っているというのである。正論である。
『放火犯人は火あぶりで、人体切断犯は断頭台で、首を絞めて殺した犯人は絞首刑でと
「目には目」を断行すれば、いくらバカでも少しはおじけつくのじゃないか?[強姦犯は?]
人の命は地球より重い!といった総理がいたが、それは「まっとうな生き方をしてきた人の命」
であって、「残虐な今回の様な犯人の命」ではないことを知るべきだ。』(同)。