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2015-01-01 それは逆「宝くじの当せん番号」

「宝くじの当せん番号」という表記が、まず庵主の趣味に反するのである。
庵主の常識と世間の常識はずれているのである。
庵主は漢字と仮名の混ぜ書きを嫌うからである。
そういうのを見るとイライラするのである。

そういう書き方をする人に対して怒りをおぼえるのである。
つきつめるとそういう表記を平気でする人の人格を疑うのである。
と、意見の違いは最後は殺し合いにつながるから、それを見ても、はなから笑って見ている。
世の中には自分の好みとき異なる人がいっぱいいるのだということを自覚するのである。

「宝くじ」の「くじ」は「籤」と書く。したがって「当せん」も「当籤」と書くべきなのだ。
なのに、マスコミ人は何百人も連れ去られても「ら致」と書けというのである。拉致である。
今はマスコミの正体はソレ系だと分かったから嗤って見ていられるのである。
「それは逆シリーズ」は視点を変えたら別の見方ができるという発想のことである。

「当籤番号の発表」とは、「外れ籤の発表だ」とも言えるのである。
当籤番号といえばおめでたいが、外れ籤といったら、死屍累々の紙屑が見えてくるのである。
宝くじを買う人は数学的には馬鹿だとされている。しかし、庵主はそっちの側だから困る。
精米歩合35%というと美しいが、なんと米を75%も捨てる罰当たりの酒なのである。

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数学的確率が馬鹿馬鹿しいのは、当たらないと分かっていても宝籤を買いたくなる心理には
なんの影響もないということである。それを言えば言うほど買いたくなる人が増えるのだ。
しかも、宝籤には、10枚かうと、ちゃんと1枚は当たり籤になっているという、アフター
サービスがついていることである。馬鹿な自分がそれで救われるのである。当たった、と。

by munojiya | 2015-01-01 00:02 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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