2015-02-13 正しい邪推の仕方
見えるのは、あるいは聞かされる事は、表面的な事ばかりだから、判断のしようがないのだ。
いかにももっともらしく語っている人の言葉を受け売りするしかないのである。
当ブログで、「世話物」というカテゴリーはそれが事実だというものではない。
そういう事を言っている人がいるというだけの話なのである。
その内容の真偽に関して保証しているものではないのである。
ただし、お酒の話に関しては、すべて庵主が確認した事ばかりなので保証付きである。
かつ、お酒のうまいまずいに関しては呑み手の好みによるので絶対性がないからいいのである。
庵主が「うまい」といったお酒を期待して呑んだみたらまずかったという場合には、そちらの
判断の方が正しいのである。庵主の判断に義理立てする必要はさらさらないからである。
庵主は嘘は書いていないのである。同じラベルのお酒であっても、庵主が呑んだそれは別物
だったりするからである。タンクが違うとか、管理状態がいいとかによるのである。
まずいお酒なのに、金と良心を引き換えにして嘘で「うまい」と書いているに違いないと邪推
されるには及ばない。まずい酒は多分誰が呑んでも同じだろうが、うまいお酒は物によるのだ。
「正しい邪推」というのも形容矛盾だから、もっともらしい邪推といえばいいのか。
例えばこういう邪推の仕方である。案外、その指摘は当たっているように思えるのである。
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『全面的にご意見に賛同します。
その通りだと思います。
国民は気づいているということを、官邸も気づいているのに、あたかもうまく騙しているかの
ように振る舞い続けるのをやめて欲しいです。』(同前米)。
「その通りだと思います」という人は、どうやってそれを検証したのだろうか。
なぜ、同意できると確信できるのだろうか。邪推した人がプロパガンダの可能性もあるのだ。
庵主には、どちらもできない相談なのである。
「そういう面白い見方もある」という言い方しかできないのである。