2015-02-23 「戦闘機は大好き、でも戦争は嫌い」的酔者
2月20日にTVで放映されたという。
映画を、TV画面で見るというのも虚しいものがあるが、それはいかにもチープというに
相応しい光景ではあるが、多くの庶民にとってはTVそれでも十分幸せなのである。
もっとも、評判になった映画でも、封切り後1年もたったらそれを上映している映画館はまず
ないから、背に腹は換えられないという処だろう。
テレビのスイッチを入れてまでして見なければならない映画なんかあるわけがないから、人が
テレビを視ている光景は、人が車を運転している光景同様に、絶対利口には見えないのである。
『“宮崎監督は戦闘機が大好きで戦争にすごく詳しい。しかし戦争は大嫌い。”』(典拠)
なのだという。その辺の矛盾がちゃんと統一できるというのだから宮崎駿は天才なのだろう。
そんな宮崎駿になぞらえれば、庵主も案外天才の部類なのかもしれない。
うまいお酒は大好きだけれど、アルコールによる酩酊が大嫌いだからである。
それは、アルコールの悪い面には目を瞑るという事なのである。清濁併せ呑むというのか。
悲惨な、アル高患者とその家族の実態は知っていても触れないということなのである。
一番綺麗な、一番おいしい部分だけを掬いあげてその部分だけを味わうということである。
想像力が欠如しているわけではない。紙の裏は見ないという虫のいい生き方の事なのである。
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本文中の「清濁併せ呑む」というのは本来の意味である。
字数が許すならば、「それを、清濁併せ呑むといってもいいものかどうか。」とする処である。
『【注釈】 大海が清流も濁流も隔てなく受け入れることから、心の広い人のこと。
「清濁」とは、善と悪・善人と悪人・賢者と愚者などのたとえとしていう。[中略]
【注意】 善も悪も併せ持つ人物という意味で使うのは誤り。
誤用例 「彼は清濁併せ呑む人で、そういうところが逆に人間らしい」
「清濁」を清酒と濁酒の意味で使うのは誤り。』(典拠)。
日頃、「庵主は清濁併せ呑むのである」と書いているのはその誤用を踏まえての冗談である。
