2015-02-26 それは逆「大学は学生を教育する所」
教科書に書いてあることを信じて学習する態度を養うものだからである。
要するにね、「読み書き算盤」のできる子供を育てる事だからである。
もっとも、今は算盤を使っているかどうかは分からないが。
また、子供に電卓を使わせているものかも分からないが、算盤とは計算能力を身につける事だ
とすれば、江戸時代の教育はちゃんと核心を捉えていたという事である。
そこで、大学であるが、そこでやる事を教育と呼んでいいものかという疑問がわいてきた。
大学では、教科書に書いてある事を疑う感性を養うことだからである。
そういう態度を養うことも教育だとすれば、大学も教育の一環だから、学生のためにあるもの
だと思っていたが、今の大学は必ずしもそうでもないというのである。
そう、逆だったのである。教職員を養うために存在している大学もあるというのである。
文科省はそういう大学を見て見ぬ振りをしているのだという。自分の天下り先なので。
『大学のレベルが低い、というんだが、こういう大学は「落選した自民党議員」とか、「天下り
の官僚」とか食わせるために存在するので、生徒のためにあるのではない。』(典拠)。
同じ伝で、財務省は蔵元を天下り先にしているのか。そんなのを受け入れる事ができるのは
大手の酒造会社だろうから、庵主はそんなとこのお酒は呑まないからどうでもいいのである。
