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2015-04-24 映画「セッション」

すごい映画が公開されているようだ。
「セッション」。
音楽学院での青年ドラマーとカリスマ教授の戦いを描いた格闘技映画だという。
その設定が凄いというのである。

青年は、超ひねくれ者、教授はサディストである。
気違いの世界である。
本来なら、正常な人が観ても理解できるわけがないのだが、
音楽が絡むと、気違いの世界が理解できてしまうのだという。

音楽には麻薬性があるみたいである。
毒は薬でもあるから、庵主などは薬用にしか使わないが、すなわち、心が乱れたときにその
乱調を清澄な調べに戻すために使っているが、音楽はまた、心の内に眠っている狂気を呼び
覚ますこともできるということである。

お酒もそうである。
庵主は、幸いなことに、呑める絶対量が小さい事から、お酒のうまい部分しか嗜んでいないが、
量が呑める人は、アルコールによって引き起こされる狂気の世界に達してしまうのである。
アル高という。そんな世界の映画なんか観たくないが、音楽なら狂気も悪くないみたいである。

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思えば、大音量のロック音楽などは、庵主には、難聴者が聞く音楽にか見えないが、
お酒をがぶ呑みしてただ酔っぱらうことを楽しむという呑み方もあるように、
そういう音楽の楽しみ方もあるということを否定はしないのである。
ただ、理解できないし、そんな呑み方したくない、いや、庵主にはできないだけの事である。

うまい映画〈おさけ〉を揃えている居酒屋「前田有一亭」が98点を付けた映画である。
庵主が、お酒で言うときの「殆ど完璧」という評価と同じである。呑んで損はない。
否、呑まないと勿体ない。町山智浩評『ジャズの皮をかぶった格闘技映画!』(典拠以下同)。
水道橋博士『この映画のクライマックスは意表を突かれた。』。意表を一杯飲むか。

まだ、その映画を見る前にこれを書いているが、純情青年とサディスト(型嵌め)指導者との
格闘技映画だという構図は、学校教育がまったくそれなのである。
映画の結末は「意表を突く」ものらしいが、教育の成果もまた「意表を突く」ものがある。
教育の目的は型に嵌めるということである。すなわち、教育とは優劣を競う格闘技なのである。

教育を受ける方はそういう型を嫌うのである。しかし、多くは型に嵌められてしまう。
しかし、教育によって、型という旧弊を突き破る発想が導き出されることがある。
そういうのを才能と呼ぶ。一生懸命天動説を教えていた教師が、地動説を主張する才能を育て
てしまい、自分の権威と地位が奪われてしまうようなことはまさに格闘技と呼んでいいだろう。

by munojiya | 2015-04-24 00:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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