2015-05-29 お金を貸せるというのも不幸せ
催促はしない。自分でやったことだから仕方ない。考えるとイヤになっちゃうから考えない。
そのことを忘れて前を向くしかありません。』(典拠)というのは、『20代で億稼ぎ』『40代で借金
返済の日々』を送ったという俳優の野村宏伸の述懐である。
普通は、どうしてもお金が足りなくなって他人にすがるしかない場合が多いのだが、野村宏伸
はお金を貸せる境遇なのである。人もうらやむお金持ちだということである。
余裕がある恵まれた人だということである。
しかし、お金は借りる方も苦しくて悔しいかもしれないが、貸す方も哀しいのである。
信用していた友人に裏切られるという不幸を実体験させられる事になるからである。
『友人に1000万円ほど貸してしまって。週明けに返すアテがあるからって言葉を信じてね。
その人を友人として信頼していたし。まあ結局、返ってこなかったわけです。』。
お金を貸すと、友人を一人なくすということである。人間不信に陥るのである。
「お金を貸してくれ」と言われる人は、自分がその相手に軽く見られているという事なのだ
という賢察があった。庵主にも、お金を貸してくれと言ってきた人がいたのである。無念。
お金を貸せる余裕があるという事は、自分のお金で高い不幸を買わされかねないのである。
お酒が呑めるという事も、呑みすぎて体を壊すという不幸を囲っているようなものなのだ。
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運転資金なら貸してもいいが、生活資金なら貸してはいけないという人もいる。
生活資金は絶対戻ってこないからだという。その人もきっと苦渋を嘗めたのだろう。
たとえば、日本が買っているアメリカの国債が生活資金に当たる。
それを分かってアメリカ国債を買っている財務当局は確信犯なのである。未必の故意だ。
そして言える事は、お金を貸すと間違いなく友達を一人減らすことになるという事である。
加えて、人が口にする言葉の虚しさを実感することになる。“性奴隷”の証人だけでないのだ。
お金を借りたがる人の言葉はいかに真実味が感じられようが、それは全く根拠のない言葉だ
ということである。言葉に対する信頼ががたがたと崩れていく音が聞こえるのである。