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2015-08-27 「祈る」も「許せない」も「なにもしない事」

「祈る」というのは、俺はそんな事とは関わり合いになりたくないという意思表示である。
「ご冥福をお祈りいたします」というのが典型的なそれである。
ご冥福を祈った人は後日、命日に墓参することはないのである。
その場合の「祈る」は、「縁はこれまでだよ」という決別宣言に近いのである。

人生は長い。どうでもいいことに長く関わっている事はできないというのが実情なのである。
いつまでも心から消えないことを「拘る」といって、病気の一種とされることがある。
軽度の鬱病みたいなものである。誰にでもあるが、それが度を越すと病気である。
「祈る」という言葉は、度を過ぎて拘りかねない気持にケジメを付ける言葉でもあるのだ。

当たったらゴメンだが、また犯人はチョウセン人だろう寝屋川の少年少女殺人事件に関して、
マスゴミは同級生らが通夜で「ひどい、犯人を許せない」と泣きじゃくる様子を記事にして
いるが、「許せない」のだったら、どうやって報復するとでもいうのか。そんなことを呟いて
も意味はない。
』(典拠)。「許せない」というのは自分では何もしないという事なのである。

「許せない」という言葉もまた、自分は関わりになりたくないという事である。
責任を感じる人なら、黙ってケジメを付けるのものなのである。
まずいお酒が出てきた時に、もっとうまいお酒を呑みたいと「祈ったり」、こんなひどい酒は
「許せない」と嘆くよりも、庵主は黙ってうまいお酒がある居酒屋の暖簾をくぐるのである。
by munojiya | 2015-08-27 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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