2015-10-21 言葉の意味には二面性がある
例えば、商品価値を高めるために使われている「手作り」とか「手打ち」という言葉は
それを受け止める人にとってはその商品を忌避することになる言葉なのである。
造り手の思いが、必ずしもそのまま買い手に伝わらない事があるのである。
青雲和尚は、メールの返事の件名をそのまま「Re」で返すのは非常識だと憤っているが、
しかし、ビジネスの現場からは、送ったメールの件名を変えられたら何の返事なのかが
判らなくなるからそれこそ非常識だという指摘もあるのである。使い分ければいいのか。
なるほどと感心させられる一理ある主張も、場面が変わるとそぐわない場合もあるのである。
その「手作り」と書いた商品は、造り手は、機械なんかじゃなくて、ちゃんと人が手で作った
真心こもったものですよという気持なのに、ところが、その「手作り」という表示を見た一部
の買い手は、それを別の意味に理解して口にするのを忌避するのだという。
知らない人が触った食い物なんか食えないという人がいるのである。
それで、暇ネタ(ネタがない時に無理に作る話題)に使われるのが、素手で握ったオニギリを
食べられるかというものである。手袋をして作ったものでないと食えないという人がいる。
これは品性と偽善性の試金石である。「黒人が握った寿司やオニギリをたべられますか」。
お酒は麹を造る時に手袋をして造る杜氏はいないのである。そうでないと美味くないから。
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『タッパーに入れた“おすそ分け”食べれない。』(典拠)。
『やっぱり菌が気になるので、おにぎり作る時はラップ使います
子供のお弁当作りの時も同様。
お母さんのおにぎりは子供の時は食べられたけど今は無理かな…….
職人が握る寿司も無理です……
寿司ロボットは大丈夫。』(同前)。
『異常な国になってきたな。』(同前)。否、いつの世も一定数の異常者はいるのだ。
それでよく誰が使ったか判らない皿碗箸匙で出てくる外食ができるものである。