2015-12-14 皇室の七不思議
今の天皇家は、庵主には誰が誰の子なのか、よく分からないということである。
公式の家系図があるのだからそれでいいのかもしれないが、「昭和天皇はだれの子なのか」
といった疑念を突きつけられると確かに合点がいかない点があるという事である。
都市伝説というのがあるから、そういう噂は皇室伝説とでも呼べばいいのかもしれない。
芸能界では、悪い噂であっても、全然噂にならないよりはマシだということで、
自分から悪い噂を流している場合もあるから、皇室伝説があるうちは、まだまだ皇室も
捨てたものじゃないということなのかもしれない。
今上天皇と皇后陛下の間には3人の子がある。
長男、皇太子徳仁親王の誕生日は1960年2月23日である。昭和35年生まれである。
次男、秋篠宮文仁親王の誕生日は1965年11月30日である。昭和40年生。
長女というのか三女、黒田清子さんの誕生日は1969年4月18日である。昭和44年生。
『皇太子の誕生日が1960年2月23日。では、妊娠は10か月遡ると1959年5月23日
になる。そして、ご成婚1959年4月10日。わずか1か月で妊娠ですかぁ。相性が
相当よかったのでしょうかね?』(典拠米)。さてはできちゃった婚だったのかも。
お酒も製造年月日の表示は上槽年月日ではないので造られた日は判らないから似た様なものか。
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昔からある皇室伝説は「長男は朝日新聞社の佐伯晋記者の子、次男は宝塚スターの加茂さくら
の子、長女は天皇の女官の子」というものである。
それが、大沢樹生と喜多嶋舞の子供の話に引っかけてカッコーの子というネタになっている。
皇后陛下は、皇太子を生んだ後、1963年に第二子を流産している。
胞状奇態(ぶどうっこ)妊娠だったという。
そのために、その後は子供を産めない体になったと言われているのである。
だとしたら、その後に生まれた次男と長女はだれの子なのかという疑念が涌いてくるのである。
噂は噂を呼ぶのである。雅子妃の病気もどうなっているのか判らない皇室のことだからである。
加茂さくらは、懐妊期間とされる時期にはステージでバンバン踊っていたということから、
それはガセネタだと言われている。
では、秋篠宮文仁親王の母親はだれなのか。
そもそも『秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂』(典拠)もあるのだという。
それは皇宮警察神話なのだろう。また別の説では元公家の女官が母親だというのである。
長男と長女は“父親”似だが次男だけは顔立ちが異なると言われるとそう思えるのである。
噂なので、なにが本当でどれが嘘なのかは、庵主には判らないのである。在日伝説もある。
ただ分かっている事はそういう真偽不明の噂がネットでは語られているという事だけである。
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長男、次男、長女、次女という呼び方には二通りのスタイルがあるという。
たとえば、生まれた子供の順番が、男・男・女・男、だったとする。
普通は、長男・次男・長女・三男、と呼ぶが、それを生まれた順場に、長男・次男・三女・
四男、と呼ぶ習慣もあるというのである。
後者の習慣では、三番目に生まれた女の子は、他方では長女なのに、三女とされるのである。
どっちが合理的なのかは、満年齢と数え齢の合理性同様別れるところである。
で、その間に流産を挟んだ場合は、それは無かったことにするのはどちらの習慣でも同じだ。
皇太子・流産子・秋篠宮・紀宮と生まれても、秋篠宮を三男、紀宮を四女とはしないのである。