2015-12-19 善意と悪意
その反対の言葉が悪意である。
可哀相なのは「悪」という漢字である。
「漢字」を、その出自から「かんじ」と読んでも構わないが、ここでは「おとこもじ」と読む。
それは既にシナの文字ではなく、日本語化しているからである。
「悪」という字を見ると、日本人は悪い奴に見えるのである。
ヤクザ映画のチンピラ役者みたいなものである。
見た目で損をしているのである。悪そうに見えるからである。
それに反して「善」という漢字は酔い人に見えるのである。おっと誤変換、善い人だった。
しかしである。「善」が「善く」見えるのは、文化による洗脳なのである。建前なのである。
もし「善」という漢字を「アク」と読んでいたなら、その字が悪い奴に見える筈なのである。
「善」という字は本質的に「善」だとは限らないという事なのである。認識次第なのだから。
正しくいえば、善と悪は、紙の裏表なのである。片方が正しいと見ると事を見誤る。
悪心のない人間がいたら、片端である。馬鹿ともいう。気違いというそれ専用語もあるのだ。
庵主が共産主義者を気違いだというのは、善意だけで、自分の悪心を知らない人達だからだ。
お酒はまずいという人もそれに似ている。裏のうまいお酒を知らない人達だから話が合わない。