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2016-02-10 一人の日本人

世界史に名を残す一人の日本人がいたという。
しかし、日本人はその人の名前を知らない。
杉原千畝である。名前を知っていても読めないのである。
いまではそういう名前はDQNネームとかキラキラネームとよばれている。

しかし、読めないのは、名前が悪いのではなく、読む方の教養が不足している場合もあるのだ。
そもそも漢字は、目で見れば分かるが、読めない場合が少なくないのである。
「杉原」も「すぎはら」なのか「すぎわら」なのか、あるいは「すぎばら」なのか読めない。
むしろ「千畝」の方が読めるのである。そのまま「ちうね」である。姓は「すぎはら」である。

昨年から今年にかけて、ナチスドイツを糾弾する映画が、なぜか続けて公開されている。
ナチスドイツはユダヤ人の抹殺を計画して、それを実行したというのである。
最近公開された「サウルの息子」という映画ははアウュビッツ=ビルケナウの話だという
触れ込みだが、どこまで本当の事なのか庵主には判断できないのである。

ナチスドイツの思想は、戦後はアメリカが引き継いで、その後も世界中で無益な虐殺を続けて
いる事は知っている。ナチスドイツのスポンサーが湯田金だった事も分かっているのである。
杉原の評価はこうである。映画を見るお金がない人はTV版を只で見ることができる
世界史に名を残す一本のお酒。日本人はその名を知らない。それでいいのだ。一本しかない故。

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ナチスドイツは本気でやっていたらしいのである。しかもドイツ人故に真面目にだから怖い。
俺の爺ちゃんはスギハラに救ってもらった。
当時はユダヤ系ポーランド人でナチスがワルシャワに侵攻する前に逃げ出した。
他の家族はみんな収容所に送られた。

スギハラの噂を聞いてワルシャワからリトアニアに向かったんだ。
ある朝彼のことを書いた新聞を手にドアをノックして自分は難民だと伝えた。
翌日もまた彼のところを訪れて同じことをした。
スギハラにはビザを待つ大勢の人が居た。

爺ちゃんは上海にある日本の難民キャンプに行って婆ちゃんと出会った。
その後ニューヨーク・エリス島のビザを得て後は歴史通りさ。
要するに、今の俺が在るのはスギハラのおかげ。
』(典拠
『俺たちユダヤ人はこの夫妻のことを何世代にも渡って語り継いでる。

世界一正義感のある人だ。
何よりナチスの要求を拒否した日本そのものが素晴らしい。6000千人しか助からなかった
とはいえ、彼は1万人の同胞を救おうとしてくれたことを知ってほしい。
ありがとう。スギハラさん。
』(同前)。ユダヤ人と朝鮮人はなぜ世界中で嫌われるのかな。

by munojiya | 2016-02-10 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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