2016-02-11 きこしめす
平気で取り入れるのである。遠慮なく使わせていただくのである。
庵主が使っている言葉はみんな人から教わったことばかりだから、著作権は不可侵だという
考え方に立つとこうして物を書くこともできなくなるからである。
そこで打ち出したのが、著作権雲古説である。
著作権の本体は人間の創作物だろうが、それはいうなれば雲古と同じだというものである。
そんなものは止めろといっても生きていれば当然発生するものだからである。
他人の著作物を利用させてもらうのは、雲古の処分を只でやってあげているようなものである。
ということで、青雲和尚の言葉(雲古)を遠慮なく自家薬籠中の物とさせていただくのである。
『先日、ある酒席で日本酒を飲んでいたとき、ある人が「お猪口で飲むのは面倒だから、
コップ酒でいきますか」と笑って言った。それを聴いたわが友が、やんわりとだが厳しく
「武士は猪口でしか飲まなかったんだよ」と言った。
「へえ、そうなの」というと、「ぐい飲みなんかは車夫馬丁ふぜいの飲み方だ。ましてコップ
酒なんかは日本の伝統にはない。武士は、猪口で飲むと決まっていた。なぜなら飲み過ぎない
ためである。外で酒を飲んで、家に帰るまでに酔って不覚をとることのないように、小さな器
にしてチビチビとお互い差しつ差されつ飲んだ」と説明してくれた。』(典拠)。なるほど。
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青雲和尚の経験もちゃっかりいただくのである。
『私は高校時代に国語の先生に尋ねたことがある。古文や漢文はもう日常で使うわけでもない
のにどうして勉強するのですか?と。先生はすぐさま答えてくれた、それは日本語の幅が
広がるからだと。
君たちが大人になって、自分の考えや感情を人に伝えるとき、古典を知らないと語彙が乏しく
なり、表現も狭くなる。いずれ必ず役にたつ。そう教えていただいた。
そういうものだと信じて古典を学び、大人になって、なるほど高校の先生がおっしゃったこと
は正しかったなと思う。古典を学んでいなかったらと思うと恐ろしくなる。』(典拠)。
お酒を呑むことを「きこしめす」という。
その言葉を知らないという日本人がいたのである。
それが若い子ではないのである。いい年をした中年の男である。
それほどに、お酒の文化は親から子供に伝えられていないということである。
もっとも、その男は、その時点ではまた教養が豊でなかったからなのかもしれないが。
庵主のお酒の呑み方も、武士の嗜みなのでである。
猪口でちょこっとしか呑まないからである。
身分は平民なれど、お酒の呑み方だけは武士のならいなのである。